ジョージ・ハリスンがビートルズ内で初めて「作曲家としての自信を獲得し、バンドの方向性を変えた」曲は?

ジョージ・ハリスンがビートルズ内で初めて「作曲家としての自信を獲得し、バンドの方向性を変えた」曲は?

★先日のブログでは、
ジョージ・ハリスンが64年に書いた”You Know What To Do”がレノン&マッカートニーから「さんざんの不評でボツになった」ため、
以後、長い間「作曲家としてのコンプレックス」を抱いていた。

という逸話をお伝えしましたが、
https://rockinon.com/blog/kojima/200631

この時期のジョージ・ハリスンの「ビートルズ内における作曲家としての葛藤」を旧友ボブ・ディランも2007年のインタビューでこんな風に語っている。

「ジョージは毎日あのレノン&マッカトニーの厳しい鑑識眼に睨まれながら曲を書いていたんだぜ。
そんな環境じゃ誰だってコンプレックスを抱くよ。

でもジョージは当時活動していたどんなアーティストと比較しても劣らないほど優れたソングライターだったと思う。
もしあの時期のジョージがビートルズを脱退して、自分の活動を始めたとしても大成功していたと思うよ」。

実際こうした「メンバー間の力関係/音楽的見解の違い」が有名バンドの解散!やメンバー脱退!の理由になったケースは昔から腐るほどある。

ジョージとしてもあの時期ビートルズを脱退して他の音楽活動を始めたほうが、
同じバンド内の天才2人に打ち砕かれた「自身の作曲家としてのプライド」を守るためには一番簡単な方法だったかもしれない。

だが、ここで「あくまでビートルズに残り、自身の作曲家としてのスキルを更に磨く」という最も困難な”試練”を選んだジョージは、

66年の「ビートルズにとっては初めての、”ダイレクトな社会コメンタリー”を歌詞に持ち、以後のビートルズの方向性を変えるきっかけにもなった曲」=”Taxman(同年リリースの『Revolver』に収録)”を書いたことにより、
作曲家としての自信を初めて勝ち得た。

そしてこれ以後のジョージは”Here Comes The Sun”や”While My Guitar Gently Weeps”など、
レノン&マッカートニー作に劣らないレベルの名曲をがんがん書くようになった。

★というジョージ・ハリソンの「長く歪曲した作曲家としての茨の道プロセス」を追い、
各曲の試聴音源と共に紹介している英メディアの記事がこれ。

https://faroutmagazine.co.uk/george-harrison-song-changed-the-beatles-forever/

プリンスやボブ・ディランなど同業者の著名ミュージシンに「ジョージの隠れファン」が意外と多いのは、
ジョージのこのへんの求道者的な資質も関係しているのかも。



ザ・ビートルズの特集は、現在発売中の『ロッキング・オン』12月号に掲載中です。ご購入はお近くの書店または以下のリンク先より。

ジョージ・ハリスンがビートルズ内で初めて「作曲家としての自信を獲得し、バンドの方向性を変えた」曲は?

児島由紀子の「ロンドン通信」の最新記事
公式SNSアカウントをフォローする

人気記事

最新ブログ

フォローする