SEKAI NO OWARIの「BREMEN」支援公演を観た。セカオワのメロディ、歌詞、歌、すべてを近くで感じることができた

SEKAI NO OWARIの「BREMEN」支援公演を観た。セカオワのメロディ、歌詞、歌、すべてを近くで感じることができた
昨年に続く二度目の「BREMEN」支援公演。

セカオワ楽曲が持つ普遍的なメロディ、世界と世界の一部に生きる自分をとらえた歌詞、柔らかに繊細に温度を伝える歌。
セカオワのポップをして、世界に唯一の存在たらしめている様々な要素が全開になったライブだった。

アコースティックライブだったからだろうか、全般にわたり歌詞がモニターに映し出されていたからだろうか。
曲の中で語られているものの意味やメッセージや4人の物語が具体的に伝わってきて、メロディのひとつひとつ、言葉のひとつひとつを噛みしめるように感じることができた。
セカオワはセカオワの世界観としてあまりに無二だが、まずポップミュージックとしてのクオリティと、何より「曲の中にあるもの」の強さが圧倒的なのだ。

4人の空気感も気負ったところもなくありのままで、ゆっくりMCをして、その掛け合いのまま、楽しそうに笑っていた。
その空気感のままアコースティックで歌われるセカオワポップスはいつもとはまた違う近しさを感じさせた。
とても大切なメッセージだけが届いてくる感覚があった。

セカオワの核にあるもの。
セカオワは間違いなく偉大なポップアーティストだが、その真ん中にあるものは決して大それたものではなく、この4人がお互いに交わす視線や言葉や、聴き手を選ぶことなく開かれた歌詞のひとつひとつにこそ宿っているのだなとあらためて感じる。
概念的な話ばかりで申し訳ないが、セカオワの素晴らしさとはやはり、人に何を伝えるのかという意志そのものなのだと思う。
僕はそんなセカオワの音楽が本当に好きだ。

素晴らしいライブだった。ここまで書いておいて言うまでもないことだが。
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