MGMTはなぜRADIOHEADの時代を更新したのか


本日解禁された新作フル試聴を受けて、いまいちどMGMT『コングラチュレイションズ』を聴く。PCからではあるにしろ、これまで聴こえてこなかった音の粒もあらわになり、よりいっそう広がりと奥行きを増したその作品の全容に触れてみて、あらためて以前書き留めた試聴メモに確信を持つ。それは、RADIOHEADが規定した2000年代の10年というものが、これでようやく更新されるのだという興奮と喜びと震えである。

ごくごく簡単に言ってしまうと、それは、怯えから攻撃へ、というものだ。少年Aからサーフィンをする得体の知れない複眼を持つ生き物へ、だ。

RADIOHEADは、そのアルバム『KID A』で、この10年の空気がどういうものになるか、恐ろしいほど敏感に感じ取った。その看取した世界の構図は、目を見張るほど正確で、だからこそ、息もできないほど絶望的なものだった。『In Rainbows』でようやく光をとらえるまで、彼らの察知したこの世の在り様は、まさに『KID A』のジャケットのように畏怖的で、『Hail To The Thief』のジャケットのように強迫的で、だからその中でわれわれは、『Amnesiac』のジャケットで描かれた「少年」(?)のように泣いていたのだ。

ところが、このMGMTの『コングラチュレイションズ』に描かれた新しい「主人公」は、もはやそういう存在ではない。もちろん、世界は背後に迫る大波のように彼に襲いかかっている。しかし、彼は泣いているどころか、挙動不審のようにキョロキョロしながら、その波に「乗っている」のである。

少年Aはどこまでも静的に世界を目撃することで、この世界の在り様の不条理に行き着き、泣いた。しかし、この新しい生き物は、この世界の不条理そのものに喰われながら、同時に楽しんでもいるような存在なのである。つまり、不条理そのものを生き抜いているのである。この「波」がなければ彼だって沈むしかない、言い換えれば、彼はこの「波」に生かされて、「波」もまた彼を必要としている――。

RADIOHEADは、出口なき愚かなブッシュ時代に唯一縋ることのできた知性とでも呼ぶべきサウンドトラックだった。MGMTは、平和賞をもらったその手で増兵の指令書にサインをするオバマ時代を阿呆のようにサバイブするためのサウンドトラックである。

ということはつまり、新たなエナジーがここにほとばしっているということだ。そんなまばゆいばかりの瞬間、この世界と挙動不審の自分と来るべき新たな世界の創造を、MGMTはコングラチュレイションと、オメデトウと、祝福したのである。