メアリー・J・ブライジの新作に泣く


期待通りの、とてもいい作品だった。
メアリー・J・ブライジとイギリスの先端的なダンス・ミュージックのクリエイター達とのコラボというと、少し唐突な印象もあるが、すでにディスクロージャーとの「F・フォーユー」やサム・スミスの「ステイ・ウィズ・ミー」があり、アルバムは自然な流れの成果と言える。
メアリー・J・ブライジはブラックミュージックの改革者だ。彼女は、その存在感、歌の力、メッセージ、生き方、ありとあらゆる点で、ブラックミュージックの女性アーティストの在り方を変えた。簡単に言ってしまうと、ブラックミュージックの女性アーティストの在り方にリアルを取り戻したのである。
多くの黒人女性アーティストが、市場の要求するファンタジーを引き受けることで、そのキャリアを築いていったのに対し、彼女はあくまで若い黒人女性のリアルを体現する形で自らの表現を展開してきた。
まさにヒップホップがブラックミュージックに起こした革命と同じだ。彼女がクイーン・オブ・ヒップホップ・ソウルと呼ばれるのは、その音楽スタイルもさることながら、歌詞の世界観、存在感においてヒップホップ・ソウルを象徴するアーティストだからだ。
しかし長くクイーン・オブ・ヒップホップ・ソウルの地位にあるうちに、その地位の持つファンタジーをも引き受けなければならなくなってきてしまった。
倒錯した言い方だが、リアルであるというファンタジーに侵食されていったのである。
本人もファンも、最近の彼女の活動に対しては、どこかやりどころのないフラストレーションを感じていた。それは作品内容、セールスともにそうだ。頑張っているし、いいものを作っているのに、結果がついてこないのだ。
「マイ・ライフ? 」のセールス不振は、本人もファンもショックだったと思う。
そんな空気感を打破する試みとして、この「ロンドン・セッション」を僕は楽しみにしていた。最初に書いたように、期待通りの素晴らしい作品だった。
しかし最初に期待した、イギリスのアーティストとのコラボが生む音楽的イノベーション以上に僕が感動したのは、彼女がこの作品によって新たなリアルを獲得したことだ。
自分の精神的不安(何と1曲目のタイトルはセラピー!)から、クイーンでいることのプレッシャー、人気の陰りまで、実に正直に歌詞にしている。
それはこれまでずっと彼女のスタイルだったことではあるが、この作品でのリアルはとても生々しいと僕は感じた。
渋谷のライブハウスで初来日ステージを観てぶっ飛び、ずっと熱心な聴き手でいる僕みたいな人間には、とても嬉しい作品だ。
明日のワールド・ロック・ナウでしっかり紹介したい。
リアルであることのファンタジーから解放され、まさにリアルを彼女はこの作品によって回復したのだ。
ここに彼女の代表曲のひとつ「ノーモア・ドラマ」を貼っておくのでチェックして欲しい。MVとしても傑作だと思う。
当時の社会状況のリアル、政治状況のリアルに彼女の歌のリアルが交差する、とても彼女らしい作品だと思う。

ロッキング・オン最新号の中村明美によるメアリー・J・ブライジ・インタビューも必読です。
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