投票する候補者も政党もないから選挙に行かない、ということは他人が選んだ政治体制を受け入れる覚悟あるということ?

最近このブログで良く書いていることだが、有権者の責任ということだ。
日本では民主主義の面倒臭さが余り認識されていない。民主主義は面倒なのだ。
メディアも政治家も有権者をお客さん扱いするが、有権者はお客さんではない。責任をとらなくてはならない当事者である。イギリスの国民投票に於いて、離脱と残留は世代間対立でもあると言われた。
結局、若い世代より圧倒的に高い投票率があった高齢者の支持が大きい離脱が選択された。
それだけが原因ではないだろうが、結局離脱したイギリスで長く生きるのは若者だ。
投票しなくても責任は取らされるのが民主主義だ。
では投票する候補者も政党もないときはどうするのか?考えるしかないのだ。自分の求める政治体制はどのような投票行動によって実現するのか考えるしかない。無論、その選択肢のなかに棄権も入る。棄権が有効だと思えば、覚悟を持って棄権するのもいい。
民主主義は面倒なのだ。
写真は昨日、期日前投票に行ったときにもらったティッシュ。とてもたくさんの人が来ていた。
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