「人と人は絶対にわかり合うことはできない」という米津玄師の源にある思想は、2010年代的に実に正しく本質的だ。そのわかり合えない孤独は、目の前の出来事ひとつひとつに目を凝らすことで見えた、絶望でも希望でもない、当たり前の「事実」なのだと思う。『diorama』、『YANKEE』という2枚のアルバム、その中でも“サンタマリア”や“アイネクライネ”で、彼はその事実を出発点として、確かで嘘のない希望を導き出そうとしてきた。そしてこの“Flowerwall”で、その先にあるひとつの答えに辿り着く。この不条理な世界をとめどない暖かさで塗り替えるエレクトロサウンドとコーラスワーク。《僕らは今二人で生きていくことを/やめられず笑いあうんだ》という言葉。そこには、彼がかつて囚われていた憂いや自己嫌悪や皮肉が一切ない。歌われているのは、「僕らは隣に立って手を繋いで生きていける」という、かけがえのないポジティヴィティと確信と肯定。この曲は、空虚な共感や無責任な開き直りとは違う。孤独から生まれ、まったく新しい輝きと強固さを持った、真実の希望を歌うポップソングだ。(若田悠希)