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――これだけ歌詞が詰まってる曲が多いのに?

コザック前田 そこで全部言うてしまってるので、あとはどういう解釈されてもいいというか。ライヴ以外のところでそんなに自分を主張することもないですし、やっぱりイメージ通りのことしてやりたいしって思うし。昔、泉谷さんとやった時に「『泉谷しげる』を演じてやらなきゃ悪い」って言ってたんですね。それと同じような感じになってきてるなって思うんすよね。ライヴの時はウチを見に来てる人が多いとするならば、ガガガSPのコザック前田でおらないとおもろないんじゃないかなっていう。ガガガSPって、巷にあるものがセリーグやとすると、パリーグなんですよ。で、たまにセリーグと当たった時に「見たか、セリーグ!」と、「こっちは客少のうても応援してんねんぞ、こら!」っていう。そういう見方をしてライヴに来てる奴が多い(笑)。

山本 見ることによって自分のなかのアイデンティティを高めてる奴がね(笑)。

――(笑)だからこそライヴの高い熱量が湧き起こるんですよね。あと、周りのイメージっていうところで言うと、この前すごく意外だなと思ったことがあって。前田さんがブログに「自分の声がこれなんだと開き直るのに時間がかかった」って書かれてたじゃないですか。「この声が自分の武器になっている」と捉えてるものだと思ってたんで驚きました。

コザック前田 浮くんですよね、自分で。だから「浮くのが嫌やな」と思ってたんですよ。でも仕方がないなあと。でも結局はそれを武器にしていくしかないと思ったんですよね。

――声に開き直ると同時に、「ガガガSPはこれでいいんだ」っていうような、バンドとしての開き直りもあったんじゃないのかなとも思っていて。そこは実際どうですか?

コザック前田 その時に見てるものとか読んでる本とか、そういうものにも影響されると思うんですよね。感情を吐き出したりするとか、そういう感じのとこに曲作りをしてる感が僕はあんまりないんですよ。ひとつの「物」を作るっていう感覚があって。だから濃いものを作りたいと思うんですね。大きくたとえるとなんですけど。全部外に向けてやってるつもりなんで、内に向けてやるものとはまた別のものやとも思ってるんですね。バンドって全部外に向いてるもんなんで、外用のことなんですよね。僕からすると。

――バンドでも内にある衝動を吐き出す人たちもいるじゃないですか。日々の鬱憤とか若さゆえの衝動だったりもそうですけど、それを解消したいっていう欲求もないってことなんですかね。

コザック前田 客にウケるのが一番のストレス解消かなと。そこなんすよね、全部。そこを起点にものを考えてしまうところがあって。

――何か物を作る作業ではあるけど、それで聴いてる人を楽しませる、笑わせてあげるものを作りたいと。

コザック前田 そうですね。それが過剰なんが俺たちなんかなあと思うんですよね。

山本

「『強い言葉を言ってほしい』って潜在意識のなかで思ってて歌詞を書いてる可能性はありますね。それを前田さんが歌ってくれることによってこっちも安心できるみたいな」

――桑原さんと山本さんは今のようなことを共通認識で持っていたりするんですか?

山本 いや、そこまではわからなかったですね。

――自然と方向性は同じほうを向くからこそガガガSPが成立するってことなんですかね。

山本 そうですね、着地点は一緒なんですよね。出発点は全然別のほうから来てるんですけど。今回自分の書いた曲はですけど、僕はヴォーカルじゃないんで「強い言葉を言ってほしい」って潜在意識のなかで思ってて歌詞を書いてる可能性はあるなあと。それを歌ってくれることによってこっちも安心できるみたいな。ふわっとした言葉は自分のなかでは今のガガガには違うなあっていうか、別に自信なくても言い切ってほしいっていうか。ほんまに「こんちきしょーめ!」ってみんなで叫びたかっただけ。そういうキーワードみたいな……“誰もが”とかもBメロの歌詞で「背負うものばっかりが増えていってしまう」みたいなことをずーっと言いたかって。あと前田さんに歌ってほしかって、書いた曲なんですけど。よくよく考えれば今回のアルバムはそういうのがすごい多いすね。だからそういうとこに出てるんでしょうね。

――そういうふうに言い切る姿を聴き手に見せたかったっていう意識もある?

山本 それもあるでしょうし、すごく僕が聴きたかったんですよ。そこが前田さんとは違うところだと思うんです。そこはすごく内に行ってるじゃないですか。外向きじゃなしに。っていうのは思いましたね。

――桑原さんはどうですか?

桑原 とにかく景気ええのがええなあって。あんま言葉に表せないですけど、パーッとしたもんみたいな。そうなってくると言葉が自然と強くなっていったのかなあと思います。もう「パーッて景気よくやりましょう!」みたいな(笑)。

山本 桑原さん、そういうの多いですよね。曲持ってきはって「どんな感じでギター弾いたらいいすか?」っつったら「もうバーッと!」って、わからんわ(笑)。

桑原 ちゃうんす、景気よくやっていただきたいんすよ(笑)。曲持ってくる時も「他のみんなに気持ちよくやってもらいたい」みたいなんもありますし、聴いてくれるお客さんとかも「気持ちよく聴いてもらいたいなあ」っていうのはあって、そういうふうに考えてたら、俯瞰で一旦浮いて曲を考えて、一回自分のなかで昇華して持っていくみたいな。そういうのはあるかな。とにかく「楽しんでもらいたいなあ」っていうのが一番強いですかね。

――なるほど。今訊いてて、ガガガSPの「楽しんでもらいたい」って気持ちがすごく表れてるアルバムなんだなって思いました。だからこそ勢いもあって、言葉の強さも出てきたんだと。

コザック前田 だから自分のことをいつまでも「アーティスト」とか「ミュージシャン」とは思えないんですよね。そこがコンプレックスでもあるんですけど、逆に自分にとっては強味やと思ってるところもあって。自分が歌うと「自分の曲にしかならへん」って言い方があると思うんですけど、それは逆に言うと「みんなと同じように歌えない」っていう意味でもあるんですよね。そこをどっちにとるかっていうところで、それをプラスに捉えていこうとは常に思ってはいて。結果は同じなんですけど自分は他人になれないんで、だから仕方ないのかなっていう着地になるんですけどね。

――自分は何だっていう感覚を持ってるんですか?

コザック前田 バンドマンとかミュージシャンっていうか、「音楽屋」。祭りをしたいわけ。でも自分何もできへんから「あんた、これ神輿」とか言うような奴。

山本 何もできへんけど顔だけ広いっていう(笑)。

コザック前田 そこまで言われると凹むわ! まあでも近いかな(笑)。

山本 つなげるのがうまいみたいな。

コザック前田 そうそうそうそう。

――お祭りとか街の青年会とかもそうですけど、そういうものって「共同体」が作っていくものじゃないですか。ガガガSPのなかにも「共同する」「共鳴する」っていうような意識が潜在的にあるようにも思うんですが。長年連れ添ってこその阿吽の呼吸っていうものなのかもしれないですけど。

コザック前田 無意識ですよね。確認し合ったりする作業はないんですよね。ただ、長くおるんで「これはないやろー」とか「これはアリやな」っていう共通認識はありますね。

――さきほど前田さんが「作品って放ったボールみたいなもん」って言ってましたけど、ライヴでは聴き手がガガガSPの瞬間的な熱量を受け取って、その日だけの一体感が出るじゃないですか。そういった意味での「共同体」っていう意識は強いんじゃないでしょうか。

コザック前田 ライヴはそういうもんであると思いますからね。ライヴではこっちがマッカーサーなわけですから、それが嫌やったらその箱から出ていけばいいんです。

――音楽屋として士気を鼓舞したりするけど、参加意志は任せるって感じなんですね。

コザック前田 やっぱりそうですね。人から言われる名曲とかも自然と「いい曲やな」って言われて評価されるものであって、こちらから介入するものではないと思うんですね。そこは根底にあるような気がします。

――ライヴもそうですけど、このアルバムでガガガSPの生き様を見せていくことによって、聴き手を巻き込んでいく力がすごく出せていますよね。

コザック前田 そこは有り難いですね。巻き込んでいく力と介入するのとは全然違うじゃないですか。

山本 「巻き込む力があるアルバム」って有り難いです。今回のアルバムはドキュメンタリー的なところもあるかもしれないですね。作り込みはまったくしてないですし。

――アルバム自体がその時々のドキュメンタリーになってるっていう。

コザック前田 そうですね。でもある程度のアベレージを越えとかんとライヴってよくないと思うんで、そこらへんに気遣ってるくらいですかね、実際は。最近思うんですけど、「上等やないかあ」言って、受けたらいいんだなと思ってるんですよね。昔は結構ビビって、しなかったこともそういうふうに受けていったらいいんやないかと思ってるんです。そういう自分の心の現れでもあるんかなと思います。

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