「名古屋ど真ん中計画」と同じく、いつかまたダイヤモンドホールみたいなところに一緒に行けたらいいなって思ってます(綿谷剛)
――ブッキングしたワタさんとしては、この7バンド、どういうふうに見てるんですか?
綿谷 Makiとmoon dropはよく一緒にやってて、KUZIRA、Track’s、ONIONRINGもよくやってて、THE NOiSEはどっちとも結構やってる。日本語の歌モノはこの2バンドが引っ張ってて、メロディックはこの3バンドしかいないぐらい。そこをTHE NOiSEが荒らしてくれたら面白いんじゃないかなって思って、最初はその6バンドでやるつもりだったんですよ。Some Lifeは僕もあんまり知らなくて。たまたま飲んでるときにMVが流れていて、「めちゃくちゃかっこいいやん」って思って、すぐにライブ観に行ったら「これ、すごいな」と思ったんですよね。それで、もしかしたら今回荒らすのはこのバンドかなと思って出てもらうことにしたっていう。みんなクセが強いですよね。見た目はちょっとなよっとしてるけど、中が強い人間の集まりだから、ぶつかったら面白いんじゃないかなって。意外とみんな、誰にも負けてないと思ってるはずなんで。
――逆にDAIYAくん的にはその中に飛び込むみたいな感じになったわけですね。
DAIYA-TAN そうっすね。まだみんなのことを理解できてないというか、喋ったこともない、挨拶程度しかしてないぐらいなので。当日をいきなり迎えるよりは、今日みたいなワンクッションがあってよかったなと。
生田 今日飲みに行けるといいっすよね。
DAIYA-TAN うん。ライブ終わったら関係値も変わってるといいかなと。
――ちなみに、Some Lifeというバンドのいちばんの武器って何ですか?
DAIYA-TAN このイベントでいうと、楽曲が全然違うから。そこで戦えればいいなと思ってます。
――会場のR.A.Dが10周年というタイミングでもあるんですよね、今回。
綿谷 このイベントをやる8月1日がちょうどオープン10周年なんですよ。それも自分の勝手なんですけど、10周年の最初にこのバンドたちとやりたかったんです。たぶんこのメンツだったら400くらい売り切れると思うんですけど、「名古屋ど真ん中計画」と同じくR.A.Dから始めて、これを続けていくかどうかはやってみないとわからないですけど、いつかまたダイアモンドホールみたいなところに一緒に行けたらいいなっていうのは思ってます。
――それぞれ、R.A.Dというハコに対する思い入れはありますか?
生田 あそこでいいライブできたこと1回もないっすね、なぜか。なんかジンクスみたいなのがあるっすね。でも、県外からしたら、名古屋に通うっていったらR.A.Dっていうのはあって。場所も中心街だし。夜は多少治安悪いんですけど(笑)。
Takeshi 「FREEDOM NAGOYA」とかやっている影響もあって、名古屋といえばここっていうイメージはあると思います。僕らのホームはまた別のライブハウスだったりするんですけど、県外のバンドから「名古屋でどこでやってるの?」っていう話をするときに「R.A.Dとかでやってるの?」って名前が出てくる感じ。
山本 幽霊がいるって有名ですよね、地元だと。
Takeshi ああ、裏の機材置き場のほうでしょ?
綿谷 マジで? 10年やってきて聞いたことがない(笑)。
Takeshi バーカンのモニターに映るって(笑)。
生田 バーカンね。あ、ビールもうちょっと美味しくしてほしいっすね。
Takeshi あとトイレの鍵直してほしい。
末武 あれ、直りましたよ。
綿谷 いや、また……。
生田 また壊れたんすか?
綿谷 もう何十回も壊れてる。安い取っ手だから。
生田 あれ、超気まずいっすよね。開けられたときより開けたときが。
綿谷 ビールとトイレ、頑張ります(笑)。
バンド歴が長くなるにつれて、少しずつ周りに一緒にライブをやってくれる人たちが増えていって、今この状態になってるっていう。だから界隈を意識するというよりも、やってたらこうなったって感じですね(Maki・山本響)
――R.A.Dの母体であるRAD CREATION、ワタさんのやっているレーベルのTRUST RECORDSもそうですけど、「FREEDOM NAGOYA」を主催したりとか、地元のシーンを盛り上げるっていうところは最初から意識的にやってきたんですか?
綿谷 盛り上げたいっていうよりも、楽しいことをしていたいだけって感じですけどね。わくわくすることをどんどん実現していきたいっていう。今の名古屋・東海って、ここにいないバンドたちもそうですけど、若いいいバンドがいっぱいいるんですよ。周期みたいなのがあって、それこそフォーリミとかバックリの世代がいっぱい出てきて、そこからちょっと若いバンドが減ってたんですね。でも今、さらに大きくなって帰ってきている感じはします。
――この中から誰が抜け出して引っ張り上げるのかっていうのも気になりますよね。
ハナフサ 俺らはもともと、こういうシーンにいなかったし、R.A.Dに出始めたのも遅かったので。最初はもっと自分たちと同じ感じの日本語パンクバンドと一緒にやるもんだと思ってたのに、やってみたら全然いなくて。名古屋の先輩っていうとTHE BOOGIE JACKっていう歳の離れたバンドしかいなかったんです。だからこの界隈に飛び込んでも、この界隈を盛り上げるというよりは、名古屋で日本語パンク、青春パンクとか、自分の地盤を盛り上げていきたいっていう感じのほうが強いですね。
――確かに今までの話を聞いていても「界隈」感はあまり感じないかもしれない。
Takeshi 僕らもそうですね。まずは自分たちがちゃんと上に行ければ、そこから引っ張り上げることはできるから。まずは自分たちがちゃんとできないとっていう部分はみんなあるんじゃないですかね。
生田 うん、個々の活動があって、たまに集まったらすごくなるみたいなのがいいなって思う。
Takeshi そういうほうが刺激が強いかなって。
山本 僕はたまたま界隈っていうのがあって過ごしてきたんで。バンド歴が長くなるにつれて、少しずつ周りに一緒にライブをやってくれる人たちが増えていって、今この状態になってるっていう。だから界隈を意識するというよりも、やってたらこうなったって感じですね。
DAIYA-TAN うん、界隈を盛り上げようみたいなのはない。
浜口 正直まだわかってないんですよね、これが究極、これがやべえっていうのを。いちばんはそれを見つけたい。
――KUZIRAとしてはどうですか?
末武 僕は……あんまり、努力するのが嫌いなんで。みんなが来て、そこに乗っかって引っ張ってもらうのがいいかな(笑)。
――とか言ってるやつがじつはいちばん野心あったりするもんだけど。
生田 いや、野心ありますよ、いちばん。