──この3人の関係性の始まりは、2020年にNulbarichの楽曲“ASH feat. Vaundy”にVaundyさんが参加して、n-bunaさんがリミックスをしたところからだと思うんですけど。ずっと付き合いが続いていたということですよね。n-buna 定期的にごはんには行ってましたね。JQ それこそ僕が日本に帰ってくる時とか、みんなのライブが終わったあととか、「そろそろメシ行きますか」みたいな。ふたりとも、ポップセンスに関してはすごいじゃないですか。だから「どうやったらもっとポップにできますか?」って(JQ)
──なんの話をしてるんですか、そういう時って。Vaundy 基本ものづくりの話をしてるけど、話が逸れると、しないほうがいい話になってくる(笑)。──そこで曲作ろうぜって話になっていったってことですか。n-buna 確かその時は、JQさんがNulbarichを休んでソロでやるって聞いて、「じゃあちょっと後押しをしたいな」って会話の流れがあった気がする。バウくんのスタジオに入って、みんなでコライトしてみようって。それで、n-bunaプロデュースっぽいやつとVaundyプロデュースっぽいやつで、1曲ずつJQさんに出したいねっていう話をして、もうその場で作り始めた、みたいな。──それはソロが始まる前?JQ いや、もう始まってた。Nulbarichを活動休止して、ソロでライブをやり始めたぐらいの時に、ふたりが「これからどうやっていくんですか?」って聞いてくれて、n-bunaくんが「どうせだったらやらせてくださいよ」と。本当に、話半分から始まったんです。そこからどんどん話が大きくなって、じゃあもう完全に任せようと思って。歌詞も音も全部。俺は操り人形になろうって。ふたりとも、ポップセンスに関してはすごいじゃないですか。ふたりがポップの捉え方とか曲の作り方とかの話をしている様子を、僕も勉強したいから聞いてたんですよ。「どうやったらもっとポップにできますか?」って。──JQさんから?JQ そうそう(笑)。「どうやったら僕売れますかね?」みたいな。Vaundy 意味わからない(笑)。JQ だから今回は全力で、1回その船に乗せてもらっていいですか、みたいな感じなんです。もう想像つかないぐらい、僕からかけ離れた楽曲が出てきたから。n-buna 基本的にはこれは愛の話だと思いますけどね。僕たちがJQさんに何かをあげたいっていうのがあったからこの企画が生まれてるし、間違いなくふたりとも、いつもの自分たちの作品で持ってくるクオリティのものを持ってきたなっていう。Vaundy 俺はただ俺の曲をあげた。JQ まさに今回の曲は、ヨルシカの曲を聴いてる感覚、Vaundyの曲を聴いてる感覚で、感情的には「歌ってみた」みたい。どう馴染んでるかはまだわかってないけど、ミックスを終えたところで、ふたりが「この楽曲、あげたくなかったです」って言ってくれたのがすごく嬉しかった。n-buna やっぱり「これヨルシカに欲しい」って思ったので。Vaundy うん、そうだよね。──ふたりともすごく本質的な曲を出してきた感じがするし、JQさんがこうやって100%人の土俵で歌ってるのを見たことがないじゃないですか。JQ 確かに1回もないですね。Vaundy だから逆に、JQさんにいつも通りやらせないようにって(笑)。「ダメです、もう1回」とか言って、OKの度合いは完全に俺らが握った。JQ レコーディングは、ふたりにそれぞれディレクションしてもらって。自分じゃ開けなかった扉を「とりあえず開けといたんで」って言われた感じがした。それぞれのプロデュースだからこそ、僕も乗っかれる部分があるんです。僕が作ってないからこそ、そっちに振り切れる。それで自分に馴染んでいけば、自然に自分の脳みそがそっちに向かっていくから。入り口はめっちゃ広がったなって。──誰かに扉を開けてほしい願望が、潜在的にあったということですか?JQ いや、潜在的にというか、メシ食ってる時に「こいつらからポップセンスをどう盗もう」と思ってたんで(笑)。「どうやって作ってんの?」みたいな。みんな音楽がすごい好きで、3人でメシ食ってる時は、ひとつ議題を与えると、ひたすら誰かが喋り続けるんで、僕はそれをずっと聞いてるんです。キャパシティも含めて、ふたりは圧倒的に違うところで音楽活動をしていて。アテなんですよ、僕の(笑)。だから今回、普段できないことをやってるし、本当に自分じゃない人になれている感覚がありました。そういう感覚は今まで一度もなかった。
──ふたりがこの2曲を当てたのも面白いなと思っていて。要はこれって、n-bunaさんとVaundyさんによるJQ批評で。そこで「歌謡曲やらせましょう」とか「ロックやらせましょう」っていう。Vaundy n-bunaさんは明確にテーマがあったよね。n-buna JQさんに日本語をちゃんと歌わせようっていう。──それはなんで?n-buna 僕はやっぱり日本語への言語的な興味が強い人間なんで、いろんなボーカリストや作曲家・作詞家の、メロディに対する言語的なクセを見るのが好きなんですよ。で、JQさんの場合は、日本語と英語が両方混ざってるのもあって、英語の子音だったりストレスのあり方が、そのまま日本語のほうにも影響を及ぼしてるタイプで。それが彼の色ではあるから、今回はそうじゃなくて、ヨルシカでよくやってるような、いわゆる日本語の、1個のモーラに対して1個の音を当てるっていう歌謡曲的なメロディの作り方と言語のあり方を1回ガチガチでやらせてみたいというのがあったんです。──“ポップス”に出てくる《スリップビート》とか《スマート》とか《フラット》とか、全部日本語ですもんね。JQ そう、全部直されました。「英語じゃなくカタカナなんで」って(笑)。歌詞を見ると、ふたりともJQさんの人生を俯瞰で歌ってるのが面白い。人生の終わりのところまで歌おうとしてる(n-buna)
Vaundy それで言うと、俺もそういう気持ちでやったかも。JQ 歌謡曲というかJ-POPのフィールドで僕を歌わせるっていうのが、なんとなくふたりに共通してあった気はする。僕っていう人間の解釈がふたりともかなり一致していて。いわゆるポップっていうものを俯瞰で見てる側であることが前提になっていて、“ポップス”のほうは、「まあやらされてるけど、ないよりはいいよね」みたいな、ちょっと皮肉ってる角度で見てる感じだよね。ポップスっていうものに対しての難しさと、自分がそこになりきれなかったジレンマみたいなものを、ふたりとも僕のどこかからキャッチしてたんだろうなって。Vaundy そんなことないです。全然キャッチしてない。n-buna 僕はキャッチしてたかな。JQ そうだよね。ちょっといい意味でイジりにきてる感じ。n-buna 僕たちは、JQさんは好きでこのスタイルをずっと貫いてると思ってたんです。でもJQさん自身が、「俺、もうちょっと大衆受けっていうか、ポップスな感じになりたいんだよね」みたいなことを言ってて。JQ そうなんです。僕は全力でポップスに行ってるつもりで作ってるのに、「嘘だ」って言われて。「好きでそっちやってんでしょ」って。──わりとみんなそう思ってると思いますよ。n-buna そこがJQさんのかっこいいところ。結果できた曲の歌詞を見ると、ふたりともJQさんの人生を俯瞰で歌ってるのが面白い。人生の終わりのところまで歌おうとしてる。──これは批評だって言ったのはそういうことで、ポップスになりたいんでしょ?っていうのを暴き立てるというか。JQ 暴くも何も、自分としては全力で思ってるんですけどね。──そうですけど、あんまり外側にはそう見えてないわけですから。だってVaundyさんの“僕らの事にさせて”にしても《曲の歌い出し/僕らの事にさせて》《この長い旅の果ては/君の詩がいいな》って、そういうことじゃないですか。Vaundy うん。俺は本当にいつも通り作ったからわかんないけど。