ジュリアン・カサブランカス @ 赤坂BLITZ

ジュリアン・カサブランカス @ 赤坂BLITZ
ジュリアン・カサブランカス @ 赤坂BLITZ - pics by Yoshika Horitapics by Yoshika Horita
昨年8月の「正真正銘、何をやるのか誰も知らない」ワールド・プレミア・ライブの時とは違い、11月のソロ・デビュー・アルバム『フレイゼズ・フォア・ザ・ヤング』で「ジュリアン・カサブランカスのNOTストロークス的音楽要素の集合体」としてのソロ世界が大々的に公開されていたにもかかわらず、ソロ2度目の来日公演にしてソロ・ツアー集大成となる今回のライブで見えたのは、今や「ザ・ストロークスか否か」では因数分解不能なくらいに謎めきながら咲き乱れるクリエイティビティと、危うい均衡を破って肉体の外へ飛び出さんとするジュリアン内部の獰猛な衝動そのものだった。

前回の来日時のようなホーン・セクションこそ登場しなかったものの、2人のキーボード兼シンセ・ベース担当(たまにギター)がステージ両翼を固め、その内側に2人のギター、さらにその内側にデイブ・グロールかってくらいのドラマー&パーカッション女子が鎮座、といった6人が左右対称に展開する、基本ベースレス編成のバンド・フォーマット(右サイドのキーボードがたまにベースを構えていたが、それも2~3曲)。そのど真ん中に、「革ジャン」と呼んでもいいくらいのラフなレザージャケット&真紅のスキニー・パンツという出で立ちのジュリアンが登場すると、満場のBLITZからは怒号のような大歓声! 

その歌い回しこそ、僕らがこの10年くらい親しんできたロック・アイコン=ジュリアンのそれだが、このステージでは文脈と質感はまるで異なって聴こえる。いかに陽性なサウンドを鳴らそうとも、フォークだったりカントリーだったりブルースだったりするアメリカン・ルーツ・ミュージック直系な豊潤さをシンセ・サウンドこみで再構築していようとも、そしてジュリアン自身終始にこやかで「ファッキン・ラブ・ユー・トキオ!」と連呼していようとも……彼がここで構築するサウンドには徹底して「安住」を許さない、ラジカルで批評的な響きが潜んでいる。ハウスかってくらいのぶりぶりシンセ・ブラスをダンス・ロックとして鳴らさなかったり、フォークの音像でカオスを鳴らしたり、ドリーミンなエレクトロからハード・ロック・オーケストラへと昇り詰めたりするのも、それぞれのサウンドから「こういう音色の背景にはこういうカルチャーがあって云々」という意味性をひっぺがしていくジュリアンの反骨心の賜物だろう。

いや待てよ、と。旧来のビートへの「安住」を許さなかったからこそ、ストロークスは00年代NYクール・ビューティーの象徴たりえたはずではないか、と。だが昨年来、ジュリアン自身、ストロークスというバンドの「今」のアティテュードとスタンスに関してはシニカルな態度を隠そうともしていなかった。ストロークスの表現が世界的に認知され1つのジャンルになってしまったことで、最も閉塞感を感じていたのはジュリアン本人だった。だからこそ彼は、一度ストロークスを外から批評する必要があったし、クールというカルチャーに囚われたストロークスを解放する必要があった……ということかもしれない。違うかもしれない。だがいずれにしても、彼の中に圧縮されたジャンル無用の表現欲求は、オーソドックスなバンド編成のルールもアレンジのルールも越えた奇天烈でカオティックなものだったことだけは間違いない。そして、それがストロークスとはまったく別種の「錯乱と書いてポップと読む」的な狂騒感を演出して、この日のBLITZのフロアを大きく揺らしていたことも。

この日彼は、“アウト・オブ・ザ・ブルー”などアルバム『フレイゼズ~』収録曲はもちろん、前回やらなかったストロークスの曲(“ハード・トゥ・エクスプレイン”も!)のみならずブルース・スプリングスティーンのカバーも披露したり、約1時間ほどのアクトの中でWアンコールにも応えたり……明日の大阪公演もあるので曲順掲載は省くが、ストロークスの曲に対してソロ曲を上回るひときわ大きな歓声が沸き上がっても、徹頭徹尾ショウマンシップにあふれたエネルギッシュなステージを見せてくれた。「ソロ・ワークの充実した手応え」と「バンドへの変わることない熱烈な支持」を同時に確認してツアーを終えた彼は、来年1月リリース予定と報じられた新作をどういう方向へ導くのか。今から目が離せない。(高橋智樹)
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