「“さよなら”という言葉は使いません。皆さんの心の中で、いつまでも音楽を奏でることができればと思っています」と、終盤のMCでファンキー加藤は語っていたが、目前に迫る解散という事実、しかし今日という日を心底楽しいものにしたいという相反する気持ちにうまく応えた一瞬だったと思う。メンバーもオーディエンスもうまく整理のつかない不安定な精神状態だったとは思うが、それが出た湿っぽいライヴでもなく、かといってそこに目を伏せた空元気なライヴでもない、その両方の気持ちにしっかりと応えた、彼らの誠実さこそが主役になったライヴだった。
このライヴは、彼らにとって2回目となる全国アリーナツアー全21本中の序盤戦4本目となるもので、今後もまだまだ多くの公演が続くこともあり、曲目や演出の詳細な説明は差し控えさせていただくが、それでも大きな視点で語らせていただくと、これまでのFUNKY MONKEY BABYSのライヴとやや違っていたところは、ライヴの進行やステージの設計がこれまでの手作り感を大事にしながらも、やはりゴールへ向かう花道として厳かなムードが漂っていた点。もちろん、ライヴの基本はあくまでも3人のカラダを張った渾身のパフォーマンスであり(途中、加藤は何度もスプレーで酸素吸入を行っていた)、場内に響き渡る合唱だけでなく時にスクリーンに大映しになるオーディエンスとの一体感であり(彼らのライヴでは、スクリーンにメンバー3人以外にも曲の主人公に近いとお見受けするオーディエンスが頻繁に登場するのです)、それらはこれまで通りなのだが、そこにふと醸し出される互いへの「ねぎらい」と「感謝」の気持ち、これらが一層前に出ていたことが印象的で、彼らがこの日言っていたところの「世界で一番“幸せ”なライヴ」ともいえる3時間が実現されていたと思う。
このツアーは、どうしても「解散ツアー」という印象ばかりが先走ってしまうのだが、実はメニュー的には「集大成」的な意図はそれほど前面に出ていない。彼等は昨年末にニューアルバム『ファンキーモンキーベイビーズ5』をリリースしたばかりであり、その楽曲たちをライヴの場で一層研磨していこうとするツアーであることは、改めて確認しておいた方がいいだろう。しかしながら、このアルバムは「解散」の2文字を念頭に置いて作られたことはまず間違いない一作で、かつて失うものは何も無かった彼らが遮二無二駆け抜けることで、少しずつ確かな手ごたえと喜びを積み重ねることが出来たこの6年間、その感謝の気持ちを強めている点がポイントになっている。もちろん、オーディエンスはその事実をしっかり認識しており、したがってこのアルバムからの楽曲を続けざまに披露していくメニューは、かつての「感情の共有」という意味以上に、ともに作り上げてきたファンモンのライヴという空間を今一度祝福しようという共同体意識へとつながっていく。「解散」という残念な心情もひっくるめたうえで、それ以上に「これまでの日々をありがとう」と言葉を変え形を変えアピールし続ける3人の姿勢、そしてその姿をしっかり見届けようとするオーディエンスの温かな視線、その交感が何より美しい一夜だった。
最新作では“WE ARE FMB”という、改めてのテーマソングともいえる楽曲を収録しており、ここでいう「WE」とは3人だけのことではなく、支えてくれるオーディエンスを含めてFUNKY MONKEY BABYSが完成するという意味になっており、この曲がこの日の臨場感を強く底支えしていたことは言うまでもない(歌詞も「才能なんてないよ」、その一方で「でかい声はお手のもんだぜ YEAH! YEAH! YEAH!」と自分で言う潔さがいい)。一方でミディアムスローの“いいんじゃない”では「立ち向かっていく事だけが正しい答えじゃない」「後ずさりして眺めてみるのもいいんじゃない?」と、一つの成果を出すことが出来た今だからこそ歌うことが出来る楽曲で、中盤の聞かせどころに新しい色を加えてきた点も胸に沁みた。
そんな新曲群の中に、かつてのライヴ代表曲が無理なく挟み込まれるというのが今回のツアーの基本的なセットリストなのだが、12000人のファンに囲まれた祝賀空間にあって、それでも初期楽曲にして手のひらには何もなかった頃のがむしゃらさが命の“ちっぽけな勇気”、そして紅白歌合戦に初登場した時の初々しさも忘れられない“ヒーロー”等々、最終的には歴代代表曲を惜しみなく織り込んでくるメニューはやはり6年間の奮闘の足跡をいやでもフラッシュバックさせるもの。「成長」あるいは「前進」という言葉の意味を否応なしに実感させる、そんな重みも十二分に携えたライヴだった。
このツアーの終了後、彼等は6月1日・2日の初となる東京ドーム公演2daysを以って解散するが、最後の最後で、彼ら自身未体験の大きな壁に挑む、という展開も実に「らしい」大団円だと思う。加藤は「東京ドームでも“さよなら”とは言いません、今から決めています」と語っていたが、FUNKY MONKEY BABYSとしての活動は終了してしまうものの、その後については次なる野心もきちんと芽生えているのではないか?(DJケミカルは住職の道を歩むことが発表済み)、そんな予感を感じさせる気運もあったが、何より最後に向かう瞬間を美談で取り繕うわけではなく、かといっていたずらに感傷に浸るでもなく、とにかく大声と汗と気合いの3点セットを武器に、喜びも憂鬱も丸裸の言葉で吐き出し続けてきたファンモン・イズム2月2日の姿をひたむきに体現し続けた、そんな潔さこそが胸に残る一夜だった。(小池清彦)