見知らぬ誰かが押し付けてくる台本は燃やし、オリジナルな道を歩き続けてきたバンドである。他者を理解することや、他者に理解されることの難しさ──つまり「言葉」というものの不完全さをわかったうえで、それでも、それっぽく分かり合ったふりをするのではなく、聴き手と本当の意味でひとつの景色を共有することを諦めることのないバンドである。そういうバンドだからこそ、見せることのできる景色が広がっていた。11月7日、TOKYO DOME CITY HALLでおいしくるメロンパンが開催したミニアルバム『eyes』リリースツアーファイナル公演。バンド史上最大キャパシティとなる会場でのワンマンライブ、チケットは見事ソールドアウトとなった。聴き手とのコミュニケーションに妥協はないが、それゆえに決して「わかりやすさ」に安住することのない彼らのライブに、これほど多くの人が集まっている。その光景には希望を感じずにいられない。
今回のツアーのタイトルは「春夏秋冬レイトショー」。「季節」はおいしくるメロンパンの音楽において大きなモチーフである。抗いようもない変化をもたらし、私たちを翻弄する現実の象徴として。あるいは、頭にこびりついて離れない輝かしい記憶や、産み落とされる幻想物語の背景にあるものとして。季節は様々な姿でおいしくるメロンパンの音楽に表れる。それはライブの現場においても変わることはなく、アンコールを含めて全20曲が披露されたこの日も、演奏される楽曲のいたるところに、季節の気配があった。
たとえば、狂おしく疾走する“色水”では、夏の陽光が大切なものを溶かしてしまうことへの喪失感が激しい演奏から溢れ出していた。“ドクダミ”は風に吹き飛ばされる寸前のほどけたリボンのような繊細なギターのサウンドが素晴らしかったが、その儚くも美しいアンサンブルからは、豊かな芽吹きの春にもいつしか終わりがやってくることへの予感が切なく香っていた。穏やかな抑揚を描く“眠れる海のセレナーデ”は、その切ないメロディが乾いて透明な冬の空を想起させたが、おいしくるメロンパンが描く冬の寒さは、不思議と温かさにもつながっていた。寒さの中で人は寄り添い合うからだろうか。あるいは、たとえ閉じ込められるものが痛みであったとしても、凍結は「不変」をイメージさせるからかもしれない。おいしくるメロンパンは季節を描くが、季節感をそのまま描写するわけではない。彼らはあくまでも季節の渦中にいる人間の姿を、その心を、描く。“あの秋とスクールデイズ”には、喪失の夏が終わり、ひとり秋に取り残された主人公の混乱した心が混乱したままの状態で刻まれているようだった。
そして、ライブの本編最後には“五つ目の季節”に辿り着いた。《そして僕たちは/五つ目の季節だけを忘れない》──そう歌われるこの曲は、ときとして残酷なほどの変化をもたらす現実の季節に対して、人の内側に刻まれたもうひとつの季節の存在を示唆する。それは「あらかじめ失われた季節」とも言うべきもので、それゆえに不変といえるものなのかもしれない。思えば、この日、MCでナカシマ(Vo・G)はこんなふうに言っていた──「『一貫性の中の変化』が、僕にとっての音楽の楽しみ方のひとつで、そしてそれが、僕がこのバンドでみんなに提示したいことのひとつです。みんなもどんどん変わっていくと思うけど、変わらずに、おいしくるメロンパンの音楽を楽しんでくれたら嬉しいです」。変わり続けるものの中で、変わらないものを見つめること。あるいは、変わらないものを携えて、変化に飛び込んでいくこと。それがおいしくるメロンパンというバンドの気高い生き様であり、彼らが季節を描き続ける理由でもあるのだろう。
ライブの幕開けを飾ったのは“epilogue”だった。「エピローグ」というのは、つまり物事の「結び」である。「終わり」から「はじまる」ところが、いかにもおいしくるメロンパンらしい。黄昏時の光のような照明に照らされて披露されたこの曲の、余韻と予感を噛みしめるようなアウトロを、ナカシマ、峯岸翔雪(Ba)、 原駿太郎(Dr)の3人は向き合って演奏した。“シンメトリー”や“沈丁花”、“架空船”といったアグレッシヴな楽曲ではレーザー照明の演出もあり、楽曲毎の演出はゴージャスで刺激的だったが、全体的なライブの流れ自体に作為的なドラマチックさはなく、あくまでも3人の卓越した演奏力と楽曲の力によってカタルシスが生み出される、その自然さが素晴らしかった。“黄昏のレシピ”からMCを挟んで“look at the sea”がはじまる瞬間。“空腹な動物のための”から“シュガーサーフ”になだれ込んでいく瞬間。そういったタイミングで聴けるライブアレンジの獰猛でフリーキーな演奏からは、3ピースバンドとしてのミニマムさにこだわり続けてきたがゆえに、膨張し、大爆発を起こしたかのようなバンドの野性的なエネルギーを感じた。かと思えば、峯岸と原がコーラスを担う“式日”には、同じく3ピースとしてのミニマムな表現にこだわるがゆえに、線描を描くように曲を造形するデリケートさを感じた。アンコールのラストに演奏された“マテリアル”の間奏で披露された3人のソロパートには清々しい解放感があり、ナカシマの歌声は、ライブ全体を通して、感情の揺らぎを精細に捉えながらも素晴らしくパワフルだった。膨張と収縮、柔軟さとストイシズム、大胆さと繊細さ……それらを瞬時に往復しながら徐々に徐々に最高到達点に行き着こうとする、そんなおいしくるメロンパンの、そのフィジカルの強さを食らうほどに強く感じたライブでもあった。
MCで3人は繰り返し、TOKYO DOME CITY HALLを埋め尽くすほどの人々に自分たちの音楽が届いていることの喜びを語り、さらに、今回のツアーの手応えを語っていた。原はツアー各地で今まで以上に多くの人々が自分たちを待っていてくれたことの喜びを、峯岸は観客たちが曲に合わせて声を上げて一緒に歌ってくれることの喜びをそれぞれ語った。そして、ナカシマは「言葉にならない……。ライブが楽しくて」と、言葉を掻き消すほどの高揚を露わにしながら、「実りの多いツアーだった」と告げた。「作ること」や「奏でること」を、ほとんどイコールで「生きること」に結びつけるおいしくるメロンパンは、この先もさらっと未来に足を踏み入れていくのだろう。季節と物語に人生を重ね、変わりゆくものと変わらないものを見つめながら。
あまりにすごすぎて、ライブが終わってしばらくは力が抜けて呆然としていたが、空っぽになった場所に、次第にみずみずしく新しい力が入り込んでくるような感覚があった。こういうライブ体験は、そう簡単には得られない。(天野史彬)
●セットリスト
2024.11.7 TOKYO DOME CITY HALL
01.epilogue
02.シンメトリー
03.色水
04.黄昏のレシピ
05.look at the sea
06.紫陽花
07.ドクダミ
08.沈丁花
09.砂の王女
10.眠れる海のセレナーデ
11.架空船
12.獣
13.空腹な動物のための
14.シュガーサーフ
15.フランネル
16.斜陽
17.あの秋とスクールデイズ
18.五つ目の季節
Encore
19.式日
20.マテリアル
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