来日したマキシムに直撃! 盟友キース・フリントの死、その非常事態を乗り切るセラピーとなった新作、またそれを生んだ音楽的背景について、余すところなく語った!

pic by YUKI MAEDA
ザ・プロディジーのMC、マキシムのソロとしてのサード・アルバム『ラヴ・モア』が12月4日にリリースされたが、これがどこまでもコンテンポラリーでありつつも、ジャマイカ系イギリス人としての自身の背景を色濃く感じさせる、情緒豊かなアルバムになっている。

さらに特徴的なのは楽曲ひとつひとつが際立って、現実の難局をどう前向きに切り抜けるのかというテーマに貫かれていることで、これはどうしても、3月に他界したプロディジーのキース・フリントのことを思わせるものにもなっている。

この新作とキースについてはすでにロッキング・オン1月号でもインタビューで語ってもらっているが、マキシムが12月に来日した際、あらためてお話を聞かせてもらった。 

インタビュアー:高見展

●ロッキング・オンでもお話を聞かせていただいていまして、もう何年も前からレゲエ・アルバムを制作するつもりだったということなのですが、そもそものそのプロジェクトとしてはどういうものを思い描いていたのでしょうか。

「トータルなレゲエ・アルバムを作ろうと思ってたんだよ。トラディショナルなレゲエ・アルバムをね。それが俺の生い立ちだし、そういうものを聴いて育ったわけだから。

やっているうちにまあまあうまくできるんじゃないかって感触だったんだけど、2〜3曲くらい仕上げていくと、『これってちょっと退屈じゃねえか?』って思えてきてね(笑)。

ビートとか、『もっと俺の中にあるものを引き出さないとだめだなぁ』って思えてきたんだよ。俺もただのレゲエ人間じゃないからさ。だから、いろんなフレイバーを混ぜ込んでいくうちにこういう形になっちゃったんだよ。

というのも、最初のうちやってた音は、25年前でも作れたようなものだったからさ(笑)」

pic by YUKI MAEDA
●(笑)。結局、レゲエ・アルバムをやりたかったのは、あなたが早いうちからプロディジーとして成功してまともにやる機会がなかったからだと、そういうことだったんでしょうか。

「うん、結局、それまで一度もやってみたことがなかったからね。

若かった頃の俺の野望っていうのは――これはほかの友達のみんなもそうだったはずだけど――自分のスタジオを持つっていうことだったんだ。それまでサウンド・システムでMCとしてマイクを握らせてもらってきたけど、絶対にほかの誰かのものだったからね。

だから、『いつか、絶対に自分のシステムを持つんだ、自分のサウンドや自分のものをレコーディングできるようになってみせる』っていう思いが、15歳の時からずっと頭のどこかにあったんだよ。自分の作品や声をレコーディングできる場所をね。

けど、結果的に俺はそれを自分から拒否してしまったともいえるんだよね。いろんなほかのものやシーンを見て経験していくにしたがってね。レア・グルーヴやイギリスのパーティ・シーンに関わっていくことでね。

それが1年半くらい前に、自分の原点に戻ってみたいって思えたんだ。自分の地図になかったところをきちんと確かめたくなったっていうか。ずっとやってこなかったことをあらためてやってみようっていう、そもそもはそういうものだったんだ」


pic by YUKI MAEDA
●それにしても今年に入ってかなり急ピッチに仕上がった作品になったという話ですけれども、やりたい気持ちはあってもなかなかとりかかるきっかけがなかったということなんですか。

「それはここ2年間はかなりヘヴィにツアーしていたから、これに取りかかる時間もなかったんだよ。

特にヨーロッパとか、精力的なツアーを組んでいる時っていうのは、終わった後で、まず一番やりたくないことがスタジオに戻ることなんだ(笑)。レコーディングよりも、まずは家族と一緒にいたいから(笑)。

子供たちもいるし、そんなこんなでリラックスしたいっていうか。だから、明らかにキース(・フリント)のことがあって、それがきっかけになってはいるんだ。あのことがあったから、気持ちを集中させるテーマを向けられたっていうか。

ある意味で、それがそのまま自分にとってのセラピーになったっていうね。これほど早くに形になったのはそのせいなんだよ」

pic by YUKI MAEDA
●ちなみに2000年に『ヘルズ・キッチン』、05年に『フォールン・エンジェル』とリリースして、それから14年もソロを作ってなかったのは、端的にプロディジーの活動に没頭していたからということなんでしょうか。

「うん。その頃プロディジーで出したのが『オールウェイズ・アウトナンバード・ネヴァー・アウトガンド』。

それからベスト盤を出して、そこから『インヴェイダーズ・マスト・ダイ』までの間に、勢いがまたものすごいついて、そこから先は常にツアーをしている状態で、自分のアルバムなんて考えはまるで思いつかなかったんだ。

ツアーからやっと休みをとれるとなったら、さっきも言ったように、家族とどう過ごすかということになるわけだから(笑)。あと、数年前からDJもやってたから、それで自分のルーツであるレゲエを一度きちんとやってみようかなっていう気持ちになったっていうこともあるんだけど」

●たとえば、“Rudeboy”なんかはまるで女性の視点から書かれて、女性ボーカリストのKaliに歌わせていますよね。

「けど、全部俺が書いてるんだよ(笑)」

●(笑)。その作業は具体的にはどういうものだったんですか。

「Kaliとはそもそも“Mantra”のレコーディングで来てもらってそれを仕上げた後に、(共同プロデューサーの)Blaze Billionsと(以前に作成していた)ループ音源を引っ張り出してきて、『これなら今使えそうだな』って、“Rudeboy”の歌詞をその場で15分くらいで書き上げたんだよ。

それでKaliにレコーディング・ブースに入ってもらって、フレーズごとに歌ってもらったんだ。『次はこれ、次はこれ』って具合にね。それをまとめてああなったんだよ。

結局、別なフレーズもまた思いついたから、後日また来てもらうことにもなったけど、基本的にそうやってできた曲なんだよ。おそらく、俺にとって最も早く出来た曲だと言えるよね」

●最終的に、この曲の独特なカリビアンな雰囲気など、最終的にレゲエ・アルバムにはならなかったとはいえ、あなたの背景をよく表わす作品になっていますよね。あるいはレゲエ風のMCというか、トースティングがあなたのバック・グラウンドやアイデンティティをよく伝えるものになったと思うのですが。

「うん、ああいうトースティング・スタイルも意識的にやったもので、というのも、プロディジーとしての俺を聴いてくれている人たちはみんな、こういうスタイルの俺を聴いたことがないからなんだよ。

だから、今度のアルバムについて、『なんでこんなスタイルのものやってるんだ?』っていう人もいるんだよね。『今更これをやるの?』っていうね。でも、プロディジーで活動する10年前、俺はずっとこれをやってたってことなんだよ(笑)。

俺がそもそもプロディジーに行き着いたのは、その10年前からこれをやってたからっていうね、結局、そこに落ち着いたんだ(笑)。だから、俺の中にあって俺自身のものを音にしてみただけのことで、俺とは違うものはまったく入ってないアルバムなんだ」

pic by YUKI MAEDA