ルー・リード、ビートルズはゴミだとしか思ったことがないと語るインタヴューが公開に


2013年に他界したルー・リードが1987年に行ったインタヴューの一部が動画として公開されている。

動画はアメリカの公共放送局として知られるPBSが製作したもので、アーティストのインタヴュー音源とアニメーションを組み合わせた動画クリップとして公開するブランク・オン・ブランク・シリーズのひとつ。今回の素材となった取材はワーナー・ブラザーズ、エレクトラ、キャピトルなどアメリカのレコード会社の幹部として活躍したジョー・スミスが行ったもので、スミスはこうしたインタヴューを資料としてさまざまなアーティストと行っていたことで知られている。

冒頭でルーは深夜にもファンが自宅に押しかけてきて閉口すると次のように語っている。

「俺は(ニュー・)ジャージーのどこともしれない荒野に住んでいるんだよ。そんなところに住んでても面倒なことはあるわけでね。大学生とかが見学しに来たりして夜の11時くらいに家に来るんだよ。家の玄関のベランダでじっとなにも言わずうちのドアを見つめたりしてるんだけど、家の中で俺は奥さんと座ってそれを見てるんだからね、かなり気味の悪い状況なんだよ。だから、散弾銃を持って出て行くんだよ。ここは猟の解禁区なんだからね、さっさと失せやがれっていうね」

また、ずっと音楽のメインストリームでは活動してこなかったことに悔いはないのかという問いには次のように答えている。

「いいや。俺はそういうもんだとして活動を始めたからね。みんなね、俺についてわかってないことがあって、それはまず俺はシラキュース大学の創作科を出てて、英語で文学士号を取って、アメリカを体現するような小説をいつか書きたいと思っていたんだけど、それと同時にたまたまロックンロールも好きだったっていうことなんだよ。大学にいた頃はずっとバー・バンドで活動してたし、親戚や知り合いから声がかかればどこででもライヴをやってたから、つまりはトップ10に入ってるような曲はいつだって演奏できなきゃならないってことなんだ。俺はそんなこともやってたんだよ」

また、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドで彗星のように登場して神格化されたことに戸惑いはなかったのかという問いには次のように答えている。

「別にたいした評価なんてされなかったけどね。実際にあったのは、ひどい記事ばかりでね。特に俺にとって不思議だったのは、ニューヨークでライヴをやって、それ以降、俺たちに対する評価はなぜあそこまでむごたらしいものだったのかってことだったよ。このバンドはなんておぞましくて頽廃した云々っていうね。『曲のテーマもひどい』『"毛皮のヴィーナス"は実はこういう内容の歌詞だ』などとね。けれども、そもそも(マゾッホの)『毛皮を着たヴィーナス』っていう本がもとからあったことさえ誰も知らないんだからね。別に俺が初めて書いた内容じゃないんだから。俺がやったのは、この本を曲にしてみたらおもしろいだろうなってことだけでね。俺はなんでもかんでもレコードに詰め込んでみたかったんだよ。こういう人たちが無視してきたものをね。ということは、なんだって題材として揃ってたってことだよ。それともう一つわけがわからなかったのは、こうしたことはもうとっくの昔から小説では描かれてきたものだったから、もうなんでもないようなものとしか俺には思えなかったってことでね。それなのに俺が"ヘロイン"って曲を書くと、まるで俺がローマ法王を殺したみたいな騒ぎになるわけでさ。本当だったら、『これからはロックンロールでも文才やいろんな才能を持った人たちになんでもやってもらえる時代が来るぞ』って喜んでもらえるはずのものだったのにね。『これからはみんなで大人としての題材を取り上げよう』ってね。俺はそういうものがやりたかったんだよ。歳取ってからも聴けるようなロックンロールが書きたかったわけで、時間が経ってもなんにも、輝きを失わないようなものを書きたかったんだ。そういうテーマと観賞に耐えうる歌詞としてね」

また、特にレコード・セールスを意識したこともないと次のように説明している。

「別にレコードが売れるとは期待していなかったし、そういうことがやりたかったわけじゃないから。もちろん、売れたら嬉しいよ。そりゃあ売れたら嬉しいさ。金の工面をどうするかっていうプレッシャーからも自由になれただろうし。お金に余裕があったわけじゃないからね。だけど、俺たちには野心と目的があったんだ。本当に若い時にしかできないことっていうのはそういうことなんだよ」

当時のルーにとっての野心と目的とはなんだったのかという問いには次のように答えている。

「ああ、それはロックンロール・ソングってものを高めることだよ。いまだかつてない境地にまで持って行きたいっていうね。俺の個人的な意見として言わせてもらうけど、こう言うと傲慢なのはわかってるけど、ほかの連中の作品なんて俺たちの足元にさえ及ばなかったと思うよ。百歩譲ったとしても膝にさえ及んでなかったね。くるぶしにさえ来てなかったよ。ほかのみんなと俺たちのレヴェルを較べたらね。みんなのやってることは本当に悲しいほどにくだらなくて、気取ってるだけでね。わかりやすくいうと、バンドが『アートっぽく』なりたがろうとすると、それはバカなロックンロール以下のものにしかならなかったからね。俺がバカだっていうのは、たとえば、ザ・ドアーズみたいなものだけどね」

その一方でビートルズやジョン・レノンへの共感などはなかったのかという問いには次のように明かしている。

「ないよ、ない。ビートルズなんか好きだったことは一度もないから。ゴミだとしか思ったことがないから。じゃあ、誰が好きだったのかと訊かれれば、誰も好きじゃなかったっていうことだね」

また、スタジオ・エンジニアとの確執のいわれを次のように振り返っている。

「昔はね、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの頃とか、エンジニアとかに仕事を放棄されたりしたからね。『うるさすぎる』とか言ってね。『これはひどい代物だ、いいか、テープ回しておくから、終わったら呼んでくれ』って言われるんだよ。以来、長い間、俺はずっと当時やってたことを耳が聞こえなくならないようにしてやるにはどうすればいいのか、試行錯誤を続けてきてるんだよね。実際、聴覚の検査だって受けたんだよね。嬉しいことに、たまたま検査士が俺のファンだったから、もうちょっと踏み込んだ検査までやって、ちょっとでも心配なところを全部診てもらったんだけどね。そいつの言うことじゃ、『高音が難聴になってきてるけど、ニューヨーカーにしては平均に近い方ですよ』っていうことだったんだ。この『ニューヨーカーにしては』っていう言い方がなんか俺にはちょっとおもしろかったんだよね」

「スタジオでは面倒なことがいろいろあったんだよ。もともとエンジニアとはそりが合わなかったからね。俺のレコードはまるっきり湿り気がなくて、誰も指一本触れてもいないようなサウンドになってるものが多いんだけど、実際にそういうもんなんだよ。っていうのは、連中はややもするとすぐボタンをいじり出すから、俺が『おい、なにやってんだよ、おまえ?』って突っかかるわけだよね。俺は自分のヴィジョンというものを信じているから、少しも干渉してもらいたくないんだ。こういうレコーディングをしてその結果がどれだけまずいものになったとしても、連中にいじられて俺の声が14歳くらいのガキみたいにされるよりはずっとましだと思ってたんだよ。連中は薄めるだけなんだから。だから、連中には言うわけだよ、写真家に『俺の写真にあんまりレタッチ入れるなよ』って言うみたいにね。『この歌詞のくだりには意味があるんだ。俺は大人なんだからさ。俺の声を薄めてキンキンなクソみたいなもんにするんじゃねえぞ』ってね。これが俺の音なんだから。それはわかってもらわないとね。っていうのは連中はすぐに歌詞に説得力を与えるニュアンスだとかキャラクターを消そうとするからね。これは重要なことなんだよ」

ルーのインタヴュー動画はこちらから。