ジミー・ペイジ、07年のツェッペリン再結成ライヴ後のヴォーカル探しは「悪夢だった」

ジミー・ペイジ、07年のツェッペリン再結成ライヴ後のヴォーカル探しは「悪夢だった」

先月『プレゼンス』『イン・スルー・ジ・アウトドア』『コーダ(最終楽章)』をリマスタリング再発し、全カタログの再発を終えたレッド・ツェッペリンだが、ジミー・ペイジは07年のO2アリーナでのツェッペリン再結成ライヴ後の新ヴォーカリスト探しがなぜ不調に終わったかについて語っている。

07年12月ツェッペリンはジミー、ロバート・プラント、ジョン・ポール・ジョーンズとジョン・ボーナムの息子ジェイソンという顔触れでライヴを行い、その模様は映像作品『セレブレイション・デイ(奇跡のライヴ)』として作品化されているが、その後、ジミーとジョン・ポールとジェイソンはツェッペリン、もしくは新しいユニットとしてさらなる活動を目指したことを次のようにヘヴィ・メタル・サイトのメタルXSで説明している。

「O2コンサートの準備期間中にぼくたちが演奏したのはレッド・ツェッペリンの音楽だけで、すべて過去の作品だったんだ。あのライヴのセットリストを準備していく間、ぼくたちはそれしか演奏してなかったんだ。やったコンサートはたった1回だけで、しかも、それをやったジェイソン、ぼく、ジョン・ポール・ジョーンズは本当に一緒にやっているとうまくいったんだよ。だから、それと同じエネルギーを新しい作品にも使ってみたらなにができるだろうと考えるのはごく自然な成り行きだったんだよ。それまでずっと新しいものはなにひとつ演奏してなかったわけだからね」

しかし、ロバート・プラントが話に乗らなかったため、ツェッペリンとして活動することを諦めてロバート抜きでの活動を模索することになったが、その時のことをジミーは次のように語っている。

「ぼくの持論では、なにかをやる時には弱点ではなくて、その時々の強味に気持ちを集中させるべきなんだよね。そして、この時の場合、ぼくたちの弱点は、ぼくたちのうち誰も歌わないということだった。でも、自分たちには演奏ができるんだから、音楽をまず形にすることに集中しようと、曲やムードなどをひとつのコレクションといえるところまでまとめていって、それからなにができるか考えてみようと、ヴォーカルの連中になにができるかみてみようと思ったんだよ。ところが、それからはとっかえひっかえヴォーカルを試してみるだけになってしまって、しかもヴォーカルに合わせてただ妥協していく感じになってしまってね。もうまったくの悪夢になってしまったんだ」

なお、この時のセッションに参加したことを認めているマイルス・ケネディは昨年次のようにその時のことをクラシック・ロック誌に語っていた。

「どういうものになるのか、みんなにわかってたのかどうか、ぼくにはわからないね。みんなはとにかく演奏をやりたがっていて、ジャム・セッションをやりたがっていて、なんかしらのプロジェクトにまとめ上げたがってたんだよ。自分たちにもどうなるかわかってないようだったけど、とりあえず、レッド・ツェッペリンと新しいヴォーカルというものにするつもりじゃなかったんだよ。それは明らかだったね」

一方で、エアロスミスのスティーヴン・タイラーもジミーに一緒に曲を書かないかと誘われ、エアロスミスがあるからと断ったことを明らかにしている。
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