【コラム】Mrs. GREEN APPLEの1stアルバム『TWELVE』を聴いた! 19歳の才能は、この時代をどう描く?


12月16日に、アニメ『遊☆戯☆王ARC-V』エンディング曲でもあるシングル『Speaking』をリリースしたMrs. GREEN APPLE。それに先行して12月12日正午には、オフィシャルウェブサイト上のカウントダウン終了と同時に、来るフルアルバムのジャケットアートワークも公開された。結成からわずか2年でライヴシーンの急先鋒へと躍進を遂げ、メジャーデビューを果たしたミセスが、2016年1月13日に初のフルアルバム『TWELVE』をリリースする。先に書いてしまうと、思考とめくるめく音が両輪となって猛スピードで時代を駆け抜ける、素晴らしいロックアルバムである。

ここでアルバムレヴューを書いても良いのだが、どうもミセスというバンドは、そしてこの『TWELVE』というアルバムは、痛快でスリリングなロックを鳴り響かせながらも、リスナーを深く考えさせるところがある。そもそもなぜ、大森元貴(Vo・G)、若井滉斗(G)、山中綾華(Dr)、藤澤涼架(Key)、そして高野清宗(B)からなる平均年齢20歳のこの若いロックバンドは、瞬く間にライヴシーンで大きな支持基盤を築き、これほどまでに時代を狙いすましたようなロックを奏で、歌うことができるのだろうか。そのことを考えずにはいられないのである。

情報が溢れかえっているのに明るい未来は見えなくて、SNSで多くの人と繋がっているはずなのに妙に孤独で、ヘタするとそんなツールが怖かったり重荷だったりして。美しいものを見たいと願うほどに醜いものばかりが目につくし、その醜いものとは他でもない自分自身の姿だったりする。ミセスのロックからは、そんな若い混乱や苦悩がひしひしと伝わってくる。もし、膨大な思考とぶっ飛んだフレーズが次々に溢れ出す彼らの楽曲がアッパーに聴こえるのだとしたら、あるいはもし、その姿がちょっと愛嬌を感じさせるほどコミカルに見えるのだとしたら、それは彼らの思考と音が全力であがいているからだ。

ミセスのロックは、もはや旧世代のロックのように、肥え太った権力者や、社会の枠組みに押し込めようとする大人に抗おうとはしていない。そんな敵はもうどこにもいないから歌の中にも出てこない。目の前にはただ、年老いて使い物にならない、ボロボロの古いシステムがあるだけだ。そのことがはっきりと伝わってくるから、大人の端くれである中年ライターの僕などはギクリとさせられるのである。

自分自身がフル回転の思考で歌詞を綴っているくせに、大森元貴は《先生でも何にも知らない/親友でも何にも知らない/誰にも話す気はない?/だけども話してよ》(“Speaking”)とリスナーに呼び掛ける。自分自身が苦悩でのたうち回りそうなのに、ミセスの音楽はくすんだ世界をカラフルに彩ってやろうとする。十二進法の単位や十二支、オリンポスの12神、キリストの12使徒などにインスパイアされたというタイトルの『TWELVE』は、12の歌に“InTerLuDe ~白い朝~”を加えて計13トラックが収録されている。生まれつき積載量オーバーでメーターの振り切れたこのロックアルバムは、2016年の始まりを強い光で照らすだろう。(小池宏和)