①我逢人
《貴方はその傷を/癒してくれる人といつか出会って/貴方の優しさで/救われるような世界で在ってほしいな》「我逢人」とは、人と人との出会いの大切さを表した禅語とのこと。この曲を収録したインディーズ期のミニアルバム『Progressive』はミセスにとって初の全国流通盤、そして“我逢人”は1曲目であり、ここで「出会い」が歌われていたことに必然性を感じる。哲学的なテーマのある曲からラブソングまで、人と人との関係性を歌ったミセスの曲は他にもあるが、多くの場合、そこでは2つの想いが歌われている。ひとつは、「あなたには優しい人でいてほしい」という気持ち。もうひとつは、「あなたには笑っていてほしい」という気持ち。厳しい問題提起を含む曲でも、根底にあるのはそれらが叶わない世界を虚しく思う気持ちであるため、本質的には一緒だ。そしてこの曲、“我逢人”でもまさにその2つが歌われている。抜粋したサビのフレーズでは「きっと報われるから大丈夫だよ」とまでは言っておらず、確信には至らない段階の「願い」という印象。しかし「愛することを諦めたくない」という大森の信条は十分に読み取ることができる。
すべての物事はいつか終わる。そんななかで、僕たちは何を大事にすることができるのか――。そんな問いかけを孕んだ旅がここから始まっていく。
②Speaking
《ねえ聞かせて 君の好きな人は誰?/この世界が愛に満ちたらいいのにな/本能のbluesを隠さずに叫んでみてよ》メンバーのうち最年少の大森と若井は、バンド結成時は16歳、メジャーデビュー時は18歳。それもあってか、初期曲には明確に10代に宛てられた曲が多い。“Speaking”もそのひとつだ。上記のフレーズは2番Aメロで登場するもの。大人にも秘密の一つや二つはあるものだが、好きな人の話で大いに盛り上がれるのは若者の特権だろう。ごくプライベートな、しかし誰にでも通じる普遍的な話題をここに持ってくるセンスに膝を打った。
一方、ブルースの英表記、かつ1番に出てきた《blue》の複数形にあたる単語《blues》は、大森の書く歌詞に頻出する「寂しい」という感覚に通ずるものを感じる。学校という空間は社会全体から見たらごく小さな場所だが、良くも悪くも当事者にとってはそれがすべてだ。そんななかで、自らしまい込んだ(あるいは、無意識に気づかないふりをしていた)心の叫びを解放できる場所を一つ見つけられたなら、呼吸のしやすさはだいぶ変わるだろう。オープンでクローズドな曲の在り方から、自分たちの音楽がそれになるんだというバンドの決意が窺える。
③パブリック
《知らぬ間に誰かを傷つけて/人は誰かの為に光となる/この丸い地球に群がって/人はなにかの為に闇にもなる》人は、身近な人に対しては思いやりを持つことができる。「自分のために」ではなく「あの人のために」という動機で行動を起こすことができるのは素晴らしいことだ。一般的にはそれを愛と呼ぶ。一方、遠い世界の住人に対して思いやりを持つのは難しい。関心のないもの、想像できないことに対しては残酷になれてしまうし、自分の行いが残酷であることを自覚することすらない。それゆえに人間同士の争いは何千年を経てもなお止まず、悲しみは憎悪を呼び、歴史は繰り返されている。
1stフルアルバム『TWELVE』収録曲“パブリック”では、人間という生き物の表裏一体な性質について歌われている。抜粋したのは1番サビの歌詞。闇の存在を嫌になるほど理解しているにもかかわらず、それでも光を諦められない。そんな大森の想いがダイレクトに表れたフレーズだ。こういうテーマで曲を書く場合、大仰な表現になってしまうおそれもあるが、ここではたった4行で、難しい言葉を使わずに本質が言い当てられている。それがすごい。しかもこの曲、大森が高2のときに書いたというから驚きだ。
④サママ・フェスティバル!
《「海へ連れてって」/「花火へ連れてって」/「未来へ連れてって」/大好きなモノがどんどん増えてく!》青空と太陽が似合うハイテンション夏ソング、“サママ・フェスティバル!”。ミセスでも一二を争うレベルではっちゃけているこの曲の真ん中にあるのは、「今を目一杯楽しもう!」というメッセージ。今ではバンドの代表曲としてすっかり定着している感じがあるが、あまりの振り切れっぷりにリリース当時(2016年6月)は驚きの声も多く上がった。
抜粋したのは1番Bメロのフレーズ。お出かけ先の候補として「海」、「花火」といった夏のレジャーが挙がるなか、3番目に登場するのはなんと「未来」。話が突然飛躍しているのがポイントだ。とはいえ、これは辻褄を無視した飛躍ではない。そもそも彼らが「今を楽しもう!」と叫ぶのは、楽しいことはやがて終わってしまうと分かっているから。また、たとえ終わったとしても、全力で笑ったり泣いたりした思い出は、その人の心に刻まれるものだと信じているから、である。大人になると見栄や外聞を気にしてしまう分、やりたくてもできないことが増える。だからこそ二度と戻らない季節を謳歌してほしいと、その眩しさで以って伝えてくれているようだ。
⑤春愁
《「ありがたいね」と心が囁いた/言われずとも ちゃんと解っていた/また昨日と同じ今日を過ごした/そんなことばっかり思ってた》シングル『Love me, Love you』のカップリング曲。大森が高校の卒業式の翌日に書いた曲で、春を待ってリリースされた。大森曰く、「自分にとって、『思い出なんかできるわけない』と思っていた高校生活だったのに学校で写真をとったり友達と一緒に話したことがとても愛おしく、忘れたくないって思って作った曲」とのこと。
月曜日から日曜日までの1週間は長くて退屈に感じるのに、入学から卒業までの3年間があっという間で寂しく感じるのはなぜか。それは、人は青春を過ぎたあとに初めて「あれが青春だった」と気づくことのできる生き物だから――ではないだろうか。教室に通う日々を続けているうちはそれをルーティンのように感じるが、卒業すれば、そういった環境は当たり前ではなくなる。ときに大人はその尊さをあなたに説くが、本当は「有難さ」なんて言われなくても分かっていて、だけどいつの間にか忘れてしまうから厄介なのだ。「春愁」とは、春の日の物憂い感じ、転じて思春期の感傷的な気持ちのこと。
⑥アウフヘーベン
《なんだっていいんだって。直に嵐は過ぎる/安牌な回答で直に虹が架かる/大丈夫 心配無いよ。大勢が傷つくだけ/なんてことはないよ/直に朝日が差す、人を朝日が刺す》3rdフルアルバム『ENSEMBLE』収録曲。リリースは2018年4月だが、大森はこの曲を高2の冬に書いたという。アウフヘーベンとは、ドイツの哲学者・ヘーゲルが弁証法(真理に至るための方法論)のなかで提唱した概念。「1.命題Aが提示される(正)2.Aとは矛盾する命題Bが提示される(反)3.AとBの矛盾を解決する統合された命題Cが提示される(合)」という過程において、弁証法では、この「3.」のステップをアウフヘーベン(止揚)と呼ぶ。ヘーゲルによると、これは真理の追究のみならず、社会や歴史にも当てはまるという。アウフヘーベンにおいて重要なのは、廃棄と復古――対立する考えをぶつけて闘争させ、次の段階で活かせるようなAとBの特色を汲み取ることだ。AとBが両立するわけないと最初から諦めてしまっては何も始まらない。捨てることを恐れ、害のなく扱いやすい回答を選ぶと、(一時的に問題を回避できたとしても)本質的な発展にはつながらない。
他の曲からも読み取れるように、《歪んでいて綺麗なもの》というのは大森元貴という人物が求めているものであり、そういう意味でミセスの歌は闘争の音楽であると言えるだろう。ピアノが先導する激しいバンドサウンドは心の嵐、すなわち葛藤を表現しているようだ。
⑦青と夏
《映画じゃない/僕らの夏だ》映画『青夏 きみに恋した30日』の主題歌として書き下ろされた曲。それにもかかわらず、《映画じゃない》というワードが歌詞に登場する。しかも計6回。それほどまでに強調されている。スクリーンの向こう側の出来事を「私には関係ない別世界の話」と思わず、感じたことを現実世界に持ち帰ってほしい。この曲にはそういった想いが込められているそうだ。“サママ・フェスティバル!”がそうであったように、またこの曲には《青に飛び込んで居よう》というフレーズがあるように、ミセスの曲において「夏」は青春のモチーフとして用いられることが多く、だからこそ「大丈夫だよ、飛び込んでみて!」といったメッセージが付随する。振り返れば(この曲の演奏時に限らず)ライブ中、大森が観客によく「後悔なく楽しんでほしい」と伝えているのにも、似たような意味合いが込められているのかもしれない。
歌詞の話に戻すと、ラスサビ前の《赤い糸が音を立てる》というフレーズも興味深い。小指と小指を結ぶ赤い糸が音を立てるとは、いったいどのようなシチュエーションなのか。そのとき、どんな音がするのだろうか。あなただけの答えをぜひ想像してみてほしい。
⑧点描の唄(feat.井上苑子)
《どこまでも/どこまでも/鈍感な僕を叱って欲しい/当たり前が壊れることに/気づけないくらいに子供だけど/ちゃんと僕は貴方を好いている》シングル『青と夏』のカップリング曲で、映画『青夏 きみに恋した30日』の挿入歌。ゲストボーカルはレーベルメイトの井上苑子。歌詞は、井上が主旋律を歌う箇所は女性目線で、大森が主旋律を歌う箇所は男性目線になっている。お互いに相手が好きなのに、その気持ちを伝えられていない。いわば「両片思い」的な状況にある男女の心境を歌ったバラードだ。
上記のフレーズは2番サビに登場するもので、ここでは大森が主旋律を歌っている。つまりこれは男性側の言葉。鈍感な相手に対して「私の気持ちに早く気づいて!」と訴えるラブソングは数多くあるが、自分からこう言ってしまうパターンは珍しい。また、《当たり前が壊れることに/気づけないくらいに子どもだけど》と言っているのは、裏を返すと、この日常は永遠に続くものではないと気づいている証だろう。《僕は貴方を好いている》と最も肝心な部分を逃げずに言葉にし、「それなのに素直になれない」、「つい強がってしまう」というもどかしさを行間に込め、美しい言葉選びで以って相手をいかに大事に想っているのかを表現し……シンプルながら三重の意味が込められたフレーズに、ソングライターとしてのすごみを感じざるを得ない。
⑨僕のこと
《僕らは知っている/奇跡は死んでいる/努力も孤独も/報われないことがある/だけどね/それでもね/今日まで歩いてきた/日々を人は呼ぶ/それがね、軌跡だと》「第97回全国高等学校サッカー選手権大会」の応援歌として書き下ろされた曲。スポーツの応援歌といえば、選手の闘志を鼓舞するアッパーチューンのイメージが強いが、この曲はそうではない。寂しさもろとも聴き手を抱き締めるロックバラードだ。抜粋したフレーズは、ラスサビ前に登場するもの。コーラスやファンファーレ、ストリングスの旋律を引き連れたバンドサウンドがサッと鳴り止む。そうして訪れた凪のような場所で大森は静かにこう歌っている。奇跡は起こらないし、努力が報われるとは限らない。勝負に向けて練習する人に伝えるには少々残酷な真実をあえて歌うことにしたのは、試合という一点を見つめた曲ではなく、勝っても負けてもこのあと続くあなたの人生に寄り添う曲を届けたかったからであろう。《奇跡は死んでいる》をはじめとした妥協のない言葉選びからは、聴き手に対する誠意を読み取れる。
また、大森が20代になってから歌詞を書いた曲には「それでも」という逆接がよく出てくる。そして、それ以降でとても大事なこと――もっと言うと、歳を重ねたからこそ歌えるようになった希望が語られている。大森元貴は、ときに自身の啓発心に苛まれながらも、心臓を切り開くようにして言葉を綴るタイプの作家だ。だからこそ、歌詞を読むと、いち人間としての彼の成長を感じ取ることができる。
⑩Attitude
《書き綴られた歌は/私のそう、遺言》4thフルアルバム『Attitude』収録曲。このバンドを知らない人から「Mrs. GREEN APPLEってどんなバンド?」と訊かれたら、私はこの曲を差し出すだろう。なぜなら、大森元貴が歌う理由、音楽やバンドに向かう理由がそのまま歌詞になっている曲だからだ。抜粋したのは、最後に歌われている言葉。自身の内面を掘り下げながら書いた曲のことを、腹を痛めて生んだ子どもに喩えるアーティストは多いし、実際この曲の2番でもそれに近い表現がある。しかし《遺言》とまで言ってしまうなんて、かなり切実だ。
ここまで紹介してきたように、ミセスの曲には人間の業、人の心の醜い部分を誤魔化さずに描いているものも多い。なぜそうするかというと、大森にとって曲とは自分そのものだから。曲を書くことによって生かされてきた人物だから。あらゆる感覚を麻痺させて、何にも気づかないふりをして生きた方がいっそ楽かもしれないが、そうなれない寂しさ・虚しさが大森に曲を書かせているから。書いても書いても完全に分かり合うことはできない寂しさ・虚しさから来る表現欲求・創作物のことを大森はしばしばアーティストとしての「エゴ」と呼んでいるが、それこそが血の通った温かさ――人の涙や心の叫びに気づき、寄り添うことのできる力――の源泉だ。「Attitude」とは、姿勢・態度・心構えの意。加えて、この曲では「アーティスト中毒」を縮めた言葉としても用いられている。