【コラム】黒木渚が叫ぶ「チクショー」は現代の迷いを晴らす「僕らの凱歌」となるか?

【コラム】黒木渚が叫ぶ「チクショー」は現代の迷いを晴らす「僕らの凱歌」となるか?

4月6日にリリースされた黒木渚の最新シングル『ふざけんな世界、ふざけろよ』をもう聴いただろうか。己と時代と世界の矛盾にジャンヌ・ダルクの如く迷いなく斬り込み、“虎視眈々と淡々と”“君が私をダメにする”などアグレッシヴな楽曲を発信してきた彼女が歌う、マジカルな開放感に満ちたピアノポップナンバー“ふざけんな世界、ふざけろよ”。初めてミュージックビデオを観てからもうすぐ1ヵ月になるが、この曲が生み出す感激はリピートするごとに増すばかりだ。

黒木渚“ふざけんな世界、ふざけろよ”MV(short ver.)
https://www.youtube.com/watch?v=EaZRu-sCIh8

《安定をひったくるテロリズム 人生を寝取ったあの女》など、世界へのあふれ返る危機感や諦念もパーソナルなルサンチマン逆噴射も《この世はほとんど終ってる》と溌剌と同じパースに配置しきってみせる鋭利な筆致。七転八倒に満ちた日々の苦闘も聴く者すべての灰色の日常も《駆け上がって 転げ落ちて 人生はコメディ》とでっかい視野から俯瞰するサビの黄金フレーズの包容力……といった要素も、確かにこの曲の重要なポイントではある。が、最大の魅力は何より、楽曲そのものの通奏低音として幾度も登場する《チクショーチクショーふざけんな》のリフレインを、最高に爽快なメロディとともに最後には「僕らの凱歌」として響かせていくところにある。

誰もが日々直面する「ふざけんな」の想いを、過激にデフォルメしたりブーストしたり、あるいは優しく紛らわせたり中和したりする表現はいくらでもある。が、それこそオリジナルパンク世代を思わせるようなアナーキーさすら漂う不屈の「ふざけんな」の数々を、彼女は《チクショーチクショーふざけんな》と歌い続けることによって鮮やかにネガポジ変換して、聴く者を風通しのいい地平へと導いてみせる。世界を席巻し世界と共有したエネルギーを《心折られても/立ち向かってゆこうぜ/ひたすら/セイヤ ソイヤ 戦うんだ》と闘争のメッセージとして結実させたBABYMETAL“KARATE”とはまったく異なる角度と方法論から、黒木渚はこの時代の憂鬱に向き合い、どこまでも晴れやかな歌へと昇華してみせたのである。

そのパワフルでエモーショナルな歌とは対照的に、彼女の歌からは「私」のエゴや欲望はほとんど聴こえてこない。むしろ、自我とプライドの崩壊すら厭わないほど「今この瞬間」に全力投球するその佇まいが、唯一無二の黒木渚イズムを指し示していく――という構図を(あくまで結果的に)描き出している人だ。《チクショーチクショーふざけんな》という「個」の感情を「みんなのうた」に変えることができたのはまさにその、黒木渚という表現者の磁場が呼び起こした奇跡だろう。2016年にこの楽曲に出会えてよかった、と心から思わせてくれた1曲だ。

シングル表題曲でもおかしくないカタルシス炸裂のブラスパンク“ふりだし”をはじめ、カップリング曲群でも彼女ならではの多彩な表情を見せる今作『ふざけんな世界、ふざけろよ』。上記MVには収録されていない“ふざけんな世界、ふざけろよ”の2コーラス目を聴くと、その風景はさらに奥行きと密度を増してくるはずだ。(高橋智樹)
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