【コラム】サニーデイ・サービス『東京』が「特別」な3つの理由

【コラム】サニーデイ・サービス『東京』が「特別」な3つの理由

サニーデイ・サービスがセカンドアルバム『東京』をリリースしてから今年で20年、ということで、リマスタリングCD、同じくリマスタリングのアナログ盤、そしてLP、CD、SHM-CD、アナログ7インチ、ライブ音源などのレアCDが入った『「東京」20th anniversary BOX』というものが、5月18日に発売になった。
この『東京』再発については、私、2016年5月30日発売の『ROCKIN'ON JAPAN』2016年7月号で、長いテキストを書いているので、そちらもぜひ読んでいただきたいのですが、ここでは、サニーデイが作ってきた数ある素晴らしいアルバムの中で、なんでこの度このように、『東京』が特別扱いっぽくなっているのか、ちょっと考えてみます。

まず、『東京』がサニーデイの最高傑作だから、というわけでは、たぶんない。
そう位置づけている人もいるが、そうじゃない人もいる。1stから解散までのサニーデイのアルバムのうち、どれがもっとも素晴らしいか、というのは、ファンによって本当に分かれるので。ちなみに私の1位は4枚目の『サニーデイ・サービス』、1枚目の『若者たち』と7枚目(これを最後に解散)の『LOVE ALBUM』が同率で2位、4位が『東京』です。

ただし。
『東京』が特別な意味合いを持った作品である、とは言える。
どう特別なのか、箇条書きにします。

(1)それまで「フリッパーズ・ギター以降」の典型だった、渋谷系としてはあんまり登場が早くなかった大学生バンド=サニーデイ・サービスの1stアルバム『若者たち』は、曲の素晴らしさという意味では認められたが、「ああ、次のネタ元ははっぴいえんどとかの昔の日本のロックとかフォークとかマンガですか」みたいな受け取られ方もされた。というか、当時JAPAN編集部にいた僕もまさにそう捉えたひとりだったわけだが、次の、ネタ元サンプリング要素がほぼ姿を消した『東京』では、「うわ、ネタ元云々じゃない! すげえんだ、このバンド!」と本格的に認められ、支持されるようになった。

(2)バンドサウンドではあるものの、曽我部恵一が中心となり短期間でガーッと作られた『若者たち』と比較すると、『東京』は曽我部恵一・田中貴・丸山晴茂の3人で、アディショナルミュージシャン数人を招いてじっくりと作られている。つまり、ロックバンド、サニーデイ・サービスの始まりもこのアルバムである、という捉え方もできる。

(3)行き場のない若者の閉塞感やデッドエンド感を描いた『若者たち』と違い、『東京』は、恋に落ちた時の感覚やこれから何かが始まるという予感が描かれた、そこはかとない希望に満ちた曲が多数を占めている。それがサニーデイの始まり、また、リスナーの始まりともリンクしていた、と言える。

と、ざっとまとめると、こんなところだろうか。もちろん、もっとも大事なのは(3)だが。
にしても、このアルバム、いつ聴いても、不思議な作品だ。1970年代の作品のようにも思えるし、来月リリースされる新しい音楽のようにも思える。どの曲もみずみずしいのに、どの曲も老成しているようにも感じられる。普遍的、とかいうと収まりがいいが、同時に刹那的であるようにも響く。あきらかに青春を歌った、青春の音楽なのに。いや、青春の歌だからか。
とにかく、「××××というような音楽が好きな方におすすめです」みたいな言い方は、しません。日本語で歌われるロックを好きな方なら、大なり小なりひっかかるものが必ずあると思います。そういう作品です、10年前も15年前も20年前も、たぶん5年後も10年後も。(兵庫慎司)
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