ジョン・ボン・ジョヴィ、リッチー・サンボラとの決別を語る
2016.12.26 17:01
11月にリリースした新作『ディス・ハウス・イズ・ノット・フォー・セール』のライブ作品『ディス・ハウス・イズ・ノット・フォー・セール(ライヴ・フロム・ザ・ロンドン・パラディウム)』を早くも1月27日(金)にリリースするボン・ジョヴィ。ライブは新作リリース前にニュージャージーとロンドンなどアメリカとイギリスの4都市で行われ、リリース前の新曲を軸にするというアグレッシヴなもので、また今回のライブ作品リリース後の2月からはツアーに乗り出すことも明らかになっている。
実は今作はオリジナル・ギタリストのリッチー・サンボラが脱退してから初の作品。リッチーは2013年の『ホワット・アバウト・ナウ』を引っ提げたビコーズ・ウィ・キャン・ツアーの2ヵ月目という序盤から離脱し、ツアーが終わった翌年の11月にジョン・ボン・ジョヴィはリッチーが脱退したことを明らかにした。その後、リッチーはソロとして活動しているが、実際には交際相手であるオリアンティとRSOというユニットとして演奏活動を続けていて、オリアンティとは11月に東京で開催された「CLASSIC ROCK AWARDS 2016」に参加してパフォーマンスを披露している。
また、リッチーがツアーから離脱したのは2013年が初めてのことではなく、その前のボン・ジョヴィ・ライブ・ツアーでも離脱していて、いずれもリッチーのアルコール依存症が問題となっていたことがこれまでの報道で指摘されている。
ザ・ニューステイツマン誌の取材に応えたジョンは、リッチーは作曲パートナーでもあったため、たとえば、リッチーの脱退がボン・ジョヴィの解散を示唆することはなかったのかという問いに次のように答えている。
「まったくなかったよ。いろいろ意見の相違はあるけれども、リッチーにはこれからも頑張ってほしいし、俺たちの方で疑問はまったくなかったということなんだ。ないよ、ない。確かに俺たちは一緒にすごい曲を書いてたし、あいつを愛してる。俺たちが一緒に歌う時の響きはまるで魔法みたいなんだよ。でもね、誰かにバンドにいてほしいという気持ちと、いなくちゃ成り立たないという気持ちとでは、まるで違うものなんだよね」
また、リッチーというソングライターの不在については、一緒に多くの曲を書いたとはいえ、ジョンはほとんどすべての曲を自分ひとりで、もしくは共作で書いてきているので特になにも心配はしていないと説明している。いずれにしても、リッチーのツアー離脱の状況そのものがあまりにも酷かったと次のように振り返っている。
「あの状況が特に腹立たしかったんだよ。ああいうやり方をしたっていうね。誰もそんなことが起きるとは予期さえしてなかったんだから。でも、申し訳ないことに俺たちにはその日ライブがあったんだよね。そのライブにあいつは来れなかったっていうんだからね。それで前回リッチーがリハビリに入った時に代役を務めてくれたやつ(フィル・X)に俺から連絡して、俺たちの曲のコード進行とかをメモったノートとかまだ捨ててないかなって探りを入れて、それ以来、そいつがずっと一緒にやってくれてるんだよ」
さらに前回のツアーではドラムのティコ・トーレスが盲腸炎で一時期離脱するという騒動もあり、その時のことを次のように振り返っている。
「俺がどういう状態だったのか想像してもらいたいんだよね。リッチーはライブに来ねえ、で、振り返ってみるとドラマーまでいねえってくるんだから。俺とデヴィッド(・ブライアン)だけだぜ。まるでオルガン弾きの猿回しって感じで、あいつがオルガン弾いて俺が猿って気分だったよ。
そんな状態でスタジアム・ライブ12回こなすのにどれだけ根性が要ったか考えてくれよ。俺たちリオにいてさ、俺たちが出ると、次の晩はブルース(・スプリングスティーン)なんだよ。もう相手にならない状態だったけど、やるっきゃないって言ったんだ。どんなバンドが相手でも怖かねーよって。それで俺たちのカバー・バンドのドラマーに代役やってもらって、ろくによくも知らないギタリストと連れ立って、『やるっきゃねえぞ、8万人!』って気合いを入れたんだよ。そりゃあね、根性要るよ。まともな神経ならキャンセルするって。でも、万にひとつでもそんなことは考えなかったね。前のツアーのしんどさったら、半端なかったから。俺の頭がこれだけ白髪混じりになったのは伊達じゃないんだよ」
なお、リッチーとの決別は友好的なもので、ふたりの間に諍いの類はなかったとジョンは次のようにも説明している。
「俺のこれまでの全活動や子供たちにまで誓っていいけど、喧嘩のようなことはまるでなかったんだ。あいつには(酒瓶の形を指でなぞってみせる)の問題があって、それがどうにもならないんだよ。でも、やっぱり務めとか責任とかもあるわけだからね。20歳の小僧じゃないんだからさ。ライブくらい来いっていうの。できないんだったら、誰かに助けてもらえっていうの。俺だっていつだって助けになるつもりなんだから。その助けが要らない? そうなったら、人にライフスタイルまで押し付けられないよね」