米津玄師が菅田将暉の歌を必要とした理由とは?

pic by 中野敬久


昨晩、衝撃的にMVが解禁された“灰色と青”は、そこに必然しかないことが伝わってくる奇跡の曲だった。
シンプルに言ってしまうなら、その必然とは菅田将暉が「青」い声を持つ、もうひとりの米津玄師だったということだと思う。


僕は、今年の8月に発売したCUTの表紙巻頭特集で「ふたりの米津玄師」というインタビューをさせてもらったときに、記事の紹介文で以下のように書いた。
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たぶん僕たちは、米津玄師やハチの音楽を聴く時、無意識的に「もうひとりの自分」の温もりや息遣いを感じている。音楽には、もともとそういう魔法の鏡のような力があるとも言えるけれど、彼が作る音楽は、今の時代の持つありとあらゆるポジティブなもの、ネガティブなものを貪欲なまでに咀嚼しきって、どこまでも先鋭化を極めた「魔法の鏡」である。
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米津玄師は今、ひたすら遠くを目指し続けることで、逆に自分の子供時代の原風景に立ち返りつつある現在のモードを『BOOTLEG』というアルバムで届けようとしていると思うのだが、それを表現するうえで、この「『青』い声を持つもうひとりの米津玄師」が必要で、だから“灰色と青”という楽曲が誕生したのだと思う。
この曲を聴くとよくわかるのだが、米津の声は霧のようなザラつきを持つ、どこか年齢不詳の神秘性を持つ「灰色」の絵の具。
菅田の声はあらゆる不純物を弾き返す無敵の艶を持つ「青」の絵の具。
僕は、ふたりとも少し人となりを知っているのだが、やはりふたりは違う色の絵の具。
だけど同じ絵の中で、それぞれの色のまま混ざり合えるくらい似ているところがある。
それは、自分の中の衝動を決して殺さずに生きる強さじゃないかと僕は思っている。
早く『BOOTLEG』のラストソングとして、この曲を聴いてみたい。(古河晋)