ビリー・コーガン、自身がなぜ「テイラー・スウィフトの父親でないのか」を説明する長文のエッセイを投稿。一部邦訳を掲載

ビリー・コーガン、自身がなぜ「テイラー・スウィフトの父親でないのか」を説明する長文のエッセイを投稿。一部邦訳を掲載

スマッシング・パンプキンズのビリー・コーガンが、自身のInstagram上に長文のエッセイを投稿している。

これは現在ネット上で拡散されている、自身とテイラー・スウィフトに血縁関係があることをほのめかす画像に対する返答としての投稿だ。

「NME」によると、出回っている写真の出典は「TotallyLooksLike.com」というインターネット・ミームを扱うサイトで、テイラーとビリーの写真を並べ、2人の顔が似ていることを強調したものになっている。

これに対しビリーは、アイデンティティ、存在論、そして「ビリー・コーガン」という人格について考察した長文で応えている。内容の一部は以下。


インターネットは最高だね。新たなミームが出回っているようだ(誰かが僕に送ってくれた)けど、どうやら問題は、T・スウィフトが僕の子供なのかどうか、ということのようだ。ふむ……。この比較は、おそらくは(素敵で才能溢れるミス・スウィフトではなく)僕をからかってのことだろうけど、褒め言葉として受け取っておくよ。そしてこれは、イメージ/自尊心/神/自己愛といった概念について、前回中断してしまった議論を再開するのにちょうどいい出発点だ。

何がリアルなのかは、何が作り物で、フェイクで、虚偽なのかと同様に今日的な意味を帯びた問題だ。リアルな君は、よりキラキラした又はより邪悪なSNS上のアバターである自分と、時空間の境界線を取り決めなければならないが、これは、政界の食物連鎖や果てしないセレブ界までもを覆い尽くしている。人間生活の各層が拡張され、もはや何も分からない、神を含めてもはや誰を信じていいのかも分からないというところまできているんだ。

「ビリー・コーガン」なる人物などいない。彼(BC)は存在しないんだ。あるいは、もし存在するとすれば、彼は僕の意識から君の意識へ向けて創造されたものであり、それはバットマンやスポンジ・ボブのマンガの絵と何ら変わらない。起源まで遡ると、WPC(ウィリアム・P・コーガン)として生まれた僕は、1967年から1985年までビル・コーガンだった。僕の父は、ビリーと呼ばれていたから実際に存在するけど、でも僕がここで言っている、SPとしてレコードを作りトーク番組に出演した「ビリー」は、創作なのだ。

僕は家族にビル、あるいはリトル・ビルと呼ばれていたが、彼はあまりに長年に渡り、あまりにあらゆる場面(この数は何千という単位だったと言っておこう)で、叩かれ、虐められ、壊され、切り捨てられていたため、僕にとって彼(ビル)は無価値だったんだ。でも僕自身が創り上げ、歩き方も髪型も、目の開け方まで意識的に(見開いていた目を蛇のような半開きの目に)変えたビリーは、新しい存在であり、自分の好きなように、どんなストーリーでも仕立て上げることができた


そしてビリーは、パート2で以下のようにエッセイを締めくくっている。


今日はこれで終わりにするけど、最後に言っておくと、君はビリー・コーガンを持ち続けることができるんだ。彼は死んでいて、君があざ笑ったり、好きに使うためにそこにいるんだよ。


スマッシング・パンプキンズは今年の6月に、ビリーに加え、オリジナル・メンバーのジェームス・イハとジミー・チェンバレンを迎えた新体制でレコーディングされた新曲“Solara”を発表している。

公式SNSアカウントをフォローする

人気記事

フォローする