1曲まるごと異性の視点で描き切った“幻”や先述した“元彼女として”などもあるが、“愛ゆえに”、“マイハッピーウェディング”や“悪い癖”は、主人公と相手の心情との交錯や会話が基軸となって展開していく。だからこそ、椎木知仁(G・Vo)が書く歌詞はドラマのように登場人物の姿が浮かんでくるし、歌詞でありながら脚本のようにも思える。どちらか一方の心理描写ではなく、言葉が交互に織り交ぜられるからこそ生まれる説得力や引力があるし、「私/君/僕」などの一人称での区別はあるものの、聴き手がどちらの心情にも溶け込めるリアリティと包容力がある。それは椎木の実体験に基づかれているからという理由ももちろんあるが、椎木自身が「男も女も突き詰めれば人間だ」ということを理解した上でその人を描いているからこそ、性別の隔たりを越えられたんじゃないかと思う。“裸”の中に《ただひとつになりたいのに/どこまでもふたつで/いくら愛や教養を見せ合っても/辿り着くのは裸だ》というフレーズがあるが、互いが個と個であることを理解しながらも、ふたりが融解することを夢見ている。その上で人は、相手の事をわかろうと模索し、相手の一番深くて柔らかい部分に触れようと手を伸ばすのだろう。
また、そういった男女の視点を問わず、マイヘアの歌詞には「わかっていたけれどしなかった/できなかった」という心情が度々描かれている。例えば“悪い癖”には《何万回使い古された愛してるより君が欲しかったものって/ずっと、もっとそばにいる、ということ/きっと、もっと言葉にする、ということ》とある。それが正解なのかは「君」にしかわからないのだけれど、相手の本音なんて結局はこちらの想像の産物でしかない。それは諦めだとか冷めているだとかではなく、その事実を受け入れながら愛のある想像力をもって相手を想いやることでしか人と人は繋がっていけないのだと思うし、完全にわかり合うことは叶わなくとも、わかり合おうとすることで相手との距離は少しずつ近くなっていくものだ。例えそれに時間がかかろうとも、人の本音に触れる為にはショートカットできない。椎木の歌詞から相手に対するそういった情熱や誠実さが強く伝わってくるからこそ、彼の歌詞は性差を超えて多くの人の心を掴むのだろう。(峯岸利恵)