the HIATUSはいかに現実の「闇」と戦いながら「光」のメッセージを描くようになったのか?

最初、細美武士(Vo・G)の新プロジェクトとして構想されたものがバンド=the HIATUSとなり、彼らが自分たちだけの場所で生き、そのドキュメントのなかに息づいた呼吸を手繰り寄せ、現実を残酷なくらいに解き、とにかく自由であろうと扉を叩いて、もう10年が経つ。出発とともに放たれた1stアルバム『Trash We'd Love』は、リスナーである我々にとっても、the HIATUSにとっても、まったく新しい音楽だった。“Ghost In The Rain”の鮮烈な鍵盤の音で告げたバンドのスタート。どの曲も美しさはもちろんだけれど、並行してどの曲も音と音とを繋ぐ糸が複雑に幾重にも折り重なっていた。

人間は生まれたときから終わりに向かっている、だなんてよく言われるけれど、当時の細美が綴った歌詞から感じられたのは「迎えたくなかった結末」の方を選んだことへの後悔だったように思う。完全なる極限の自由のなかに生まれたthe HIATUSという音楽は、細美自身が「非常に暗い」と言うくらい、闇のすぐそばに存在するような、もしくは闇の中でもがいている曲が多いのだ。事実、次作となる2ndアルバム『ANOMALY』に収録されている“Insomnia”にいたっては、《Save me》=《助けて》と救いを叫び、《いったいどこで間違ったんだろう》、《もうしばらくだけここにいて/ちゃんとするから/戻ってきて/ちゃんとするから》(対訳)と、過去を引きずった言葉ばかりが並んでいた。自由というものの存在が、直視したくなくなるほどに現実の自分の弱さを認めさせてくるのと同時に、「自分の全てをここで表現しなければならない」という使命や足枷といったものに成り代わっていった心の面も感じ取れる気がする。

しかし、3rdアルバム『A World Of Pandemonium』から徐々に変化が現れてくる。細美は前作まで弾いていたエレキギターをアコースティックギターに持ち替え、作曲プロデュースはこのアルバムからメンバー全員で行うようになった。この時点でそれまでの作品とは一線を画すのだが、サウンド的な変遷だけでなく、やはり細美の書く詞世界にもそれまでに無かった色が付いていた。先行リリースされ、同作にも収録されている“Bittersweet / Hatching Mayflies”で、《Hope》という単語がthe HIATUSの音楽において初めて出てきたのだ。「~だといいな」といった意味の動詞として使われたことはそれまでにもあったが、「希望」を意味する名詞として使われたのはこれが初めてだった。これは、彼らが明確に光を示した最初の瞬間でもある。
この曲に描かれた「希望」は、単にそれまでの作品に顕著に表れていた「絶望」といった類のものが完全に昇華されて生まれたものではなく、心の視野を広げ、その末に祈った「希望」。《ゆっくりとしぼみながら/それでも天井にくっついたままの/大きな赤い風船》であったり、《ある日差しの強い日に捨てられちゃった/古びた熊のぬいぐるみ》であったり、《水たまりに浮かんだ/ガソリンの虹みたいなもの》(対訳)であったり。明暗の両方をメタファーを用いながら提示したうえで、細美は「僕にとっての希望とはどんなものなのか」をちゃんと歌った。「希望」を歌えるのは奈落の底を知っているからにほかならないし、「絶望」を歌えるのは一度でも光に触れたことがあるからだ。

その後の色の変わり方も明らかなもので、5thアルバム『Hands Of Gravity』に収録されている“Clone”で、細美は「自分の中にいるあの日からずっと泣き続けている子」の存在を唄にした。それは《There’s a clone in me who shares with me》(それは全てを分け合うクローン)であり、《There’s a clone in me who saves the day》(それはいつか僕を救うクローン)なのだ。自分で自分を救ってあげられることに気付く――その気付きの果てにあるのは、やはり「希望」だろう。

そして、最新アルバム『Our Secret Spot』。今作には、これまでのどの作品よりも数を絞り切って、生々しく鳴らされる5人の音が詰まっている。加えて、確実に細美の詞世界に光が差し込んでいることがよく分かる。いや、差し込んでいるだけじゃなくて、その光に手を伸ばすことができているのだろうな、と。“Firefly / Life in Technicolor”なんて、その象徴だとさえ思う。雨が降っていたら、きっと「天気が悪い」ってみんな言うはずなのに、今の細美は雨が降っていることを「悪い」とは言わない。雨音が大きくなったとしても、厚い雲の向こうに待っている晴れの日=「光」のことを想うことができる。イントロの伊澤一葉(Key)の鍵盤の艶やかなタッチに、「もしかしたら雨上がりには極彩色の虹が架かるかもしれない」なんて想いも乗せていそうな、そんな調子。彼らが10年という歳月の中で奏でられるようになったのは、泣きたくなったときにだけ優しく抱き締めてくれる音楽ではなくて、何気ない毎日から繋がっていたいと思える音楽だ。音も希望も絶望も目には絶対に映らないけれど、それでも細美は言葉を紡ぎ、the HIATUSは音を紡ぎ、全部をこうやって唄にしてきた。

でも、その想いこそ、きっと彼らが今一番大事にしたいものなのではないか。奈落の底にも青空があることを知っている人間だから鳴らせる音楽がある。それはなによりも一番綺麗に響いて、一番遠く深いところまで届く。そして、このバンドが音を鳴らす限り、決して失くならない日陰と日向が私たちにはあるのだ。(林なな)