「TOSHI-LOW」という名前を聞いて、あなたが思い起こすのはどんな姿ですか? マイクを持ち、オーディエンスを蹴散らしながら歌う、鬼のような形相のBRAHMANのTOSHI-LOW。アコースティックギター片手に目尻にシワをいくつも刻み、天使みたいな笑顔を浮かべるOAUのTOSHI-LOW。彼が息子に弁当・通称「鬼弁」を作る、パパとしてのTOSHI-LOW。この3人のTOSHI-LOWって、全部同じ人間なのに全部同じ人間とは思えないほど、かなりイメージが違うのではないでしょうか。
TOSHI-LOWがBRAHMANのボーカリストとなり、現実としてバンド以外に「家庭」という居場所を手にし、そしてOAUを結成し、やがて鬼と呼ばれるようになり、「鬼弁」作りに勤しむ……という年表のなかで、まず説明が必要そうなのは「鬼弁」の存在だと思う。息子に弁当を作ったものの、「ひじきが虫みたいでこわい」と言い数口しか食べてもらえなかった日から鬼=TOSHI-LOWが試行錯誤を繰り返しながら作ってきた弁当、それが「鬼弁」だ。弁当本『鬼弁~強面パンクロッカーの弁当奮闘記~』で明らかとなった弁当のレパートリー(しかも中身がつけめん、ガーリックライス、恵方巻、皿うどん、吉野家牛丼など!)とその全容がかなりフリーダムかつ驚愕的だが、写真を見ただけで、自身の「手」で弁当箱におかずを詰め、自身の「手」で愛情を込め、それを息子に渡して「手」を振って見送ったのだろうな、と一瞬で悟ることができるのだ。
さて、そんなパパの姿とは対岸にあるようなバンド、BRAHMANのTOSHI-LOWはどんな姿だろうか。初期のBRAHMANで彼が歌っていたのは、なぜ人は生き、なぜ苦しみ、なぜ死ぬのか――その答えが分からないまま、渦の中でもがいた末に産み落とされた言葉たちだった。そんな脆さを抱えている只中で、東北が揺れたのだ。あの日のあとに歌われた“鼎の問”で描かれたのは、誰かを庇った痕跡、誰かの手を握っていた痕跡、そして何度も捧げた祈り。誰かを庇うのも、誰かの手を握るのも、祈るのも、全部「手」が無いとできないこと。でも、誰かのことを守る「手」をTOSHI-LOWはちゃんと持っていた、だから“鼎の問”を歌うことができた。キュウソネコカミが《時々めちゃめちゃ鬼》と歌った“TOSHI-LOWさん”の歌詞の通り、今我々の目に映るBRAHMAN・TOSHI-LOWの「圧倒的で無敵な感じ」は、あの日があったからこそ、生まれたものである。
思えば、OAUで歌われているのも、自らの「手」で守りたいものばかり。OAUの最新アルバム『OAU』の2曲目に収録されている“こころの花”で、TOSHI-LOWは《明日が辛い》とうつむく誰かに差し伸べた「手」を描き、そして《誰かのためになりたい歌》を歌っている。その《歌》は、終わりよりも未来を見据え、ジリジリと照りつける太陽よりも月のような穏やかに包み込む光を孕んでいる。その光源にあるのは、きっと“鼎の問”を歌うためにマイクを持ち、息子のためにお弁当を作った、そのあたたかいTOSHI-LOWの「手」だと思うのだ。
息子に持たせた「鬼弁」も、BRAHMANの歌も、そしてOAUの歌も、全部TOSHI-LOWの大きな「手」がなければ世に存在することはなかっただろうし、こんなにみんなに愛される弁当にもバンドにも歌にもならなかっただろう。誰かを想うということも、誰かへ自分の時間を注ぐことも、自分の「手」で守りたいと思える人がいることも、自分と歩む方向が同じ人間と一緒に船を編み、同じリズムでオールを漕ぐことも、これってきっと全部誰しもが歩める運命だけれど、TOSHI-LOWのその「手」に宿った優しさとか、強さとかって、いくらお金を出しても手に入れられないものでもある。3つの魂を持つTOSHI-LOWが弁当箱の底と音楽に敷き詰めた愛は、全部が偽らざる真実で、どれにも矛盾はない。どうか、その奇跡に触れてほしい。(林なな)
BRAHMANとOAU、そして「鬼弁」を繋ぐTOSHI-LOWの魂
2019.09.02 18:40