彼らの特徴のひとつは、あまりにも赤裸々かつ痛烈に胸を抉る、その類い稀なる歌詞にある。
中心を担うのは、全楽曲の作詞作曲を務める絶対的フロントマン、秋田ひろむ(Vo・G)だ。東京でのバンドマン生活を長きに渡って経験し、人間関係や現実に疲弊した果てに、青森へと帰郷した秋田。amazarashiの楽曲の大半がそんな彼の実体験を元にして作られているという事実は、ファンの間では広く知られている。
秋田の人生を丸ごと回顧しつつ、当時の心情が文学的な勢いを纏って襲い掛かるamazarashiの歌詞は、決して明るいとは言い難い。こんな筈じゃなかったと頭の中で繰り返しながら続けたアルバイト。散々陰口を言われた下積み時代。つけっぱなしのテレビを観て「この人達はなんて幸せそうなんだ」と考えて笑えなくなった日々……。「秋田ひろむ」というひとりの人間の人生を追体験するかの如く進行するamazarashiの歌詞には目を背けたくなるほどのリアルが渦巻いていながらも、音楽を聴く上で歌詞に重きを置かない人でさえ唸らせる、唯一無二の魅力がある。
《「人間嫌い」っていうより 「人間嫌われ」なのかもね/侮辱されて唇噛んで いつか見てろって涙ぐんで/消えてしまいたいのだ 消えてしまいたいのだ》(“ジュブナイル”)
《僕が死のうと思ったのは 心が空っぽになったから/満たされないと泣いているのは きっと満たされたいと願うから》(“僕が死のうと思ったのは”)
《楽しけりゃ笑えばいいんだろ 悲しい時は泣いたらいいんだろ/虚しい時はどうすりゃいいの? 教えて 教えて》(“空っぽの空に潰される”)
ネガティブな思いは、生活の中にふいに襲い来る意識的には抗えない感情だ。だが、世間一般的な人間はそうした憂鬱に時折悩まされはするものの、同程度に訪れるハッピーな出来事で上書きしたり、巧みに思考を逸らしたりと各自工夫を凝らしながら、日々を生きている。
ただ忘れてはならないのは、そうした孤独感やストレス、希死念慮といったメランコリックな感情を日常的に抱きながらも、自身の心の内に際限なく溜め込んでしまう人間も一定数存在するということだ。
amazarashiの音楽にはそうしたはぐれ者たちの封じ込められた本心を解き放ち、親身に寄り添う力が秘められている。そしてそれは同時に、暗闇で彷徨いながらも未だ見ぬ光に出会う奇跡を渇望する人間にとっては、何ものにも代え難い救済にもなり得るのだ。
そう。秋田ひろむが綴る言葉にあるリアルを超えた生々しさの正体とは、楽曲に触れることによって生じる心中の痛みである。
確かに現実や本心を想起させるある種ショック療法的な手荒い手法は、心の奥底を鋭く突き刺すものだ。しかしながら秘めたる思いを率直に体現し「それでも生きなければ」と背中を押すamazarashiの歌詞は、順風満帆に生きる他人が吐く虚偽で塗り固められた正論よりも、友人や家族が発する詭弁よりも、強く心を動かされる。
自傷的に思いの丈を吐露する稀有なミュージシャン、秋田ひろむ。彼は言わば、絶望という名の現実と戦う弱者の代弁者たる役割を担っているのかもしれない。(キタガワ)