冒頭から個人的な話で恐縮なのだが、2年前の4月、宮城県の福浦島というところへ「海が見たい」という理由だけで繰り出した。引き込まれそうになるくらいの真っ青な海や、そこにぽつぽつと浮かぶ小さな岩や島を眺めているうちに、ふと音楽が聴きたくなり、イヤホンを耳に挿してオーディオプレイヤーを起動させる。そして真っ先に聴いたのが、
くるりだった。
彼らの音楽は、旅を題材にしたものが多い。それも娯楽的な要素を持ったものとは違い、己や己の人生と対話したり、現状打破を狙ったり、輝く未来を探したりするための、彷徨い歩く旅だ。あの時彼らの音楽を欲したのは、自分もそういう旅の尊さに触れたいと思ったからだろう。くるりの音楽には、見知らぬ土地を行くロマンが詰まっている。(笠原瑛里)
①宿はなし
2ndアルバム『図鑑』に収録。タイトルや《宿はなし 今日も川のそば》という出だしのフレーズの通り、歌詞の主人公には安心して身を委ねられるような宿舎がない。それは一個人の感覚からすると不都合で不快で危険なことのように思えるが、曲から受ける印象は全く正反対だ。ゆったりとしたテンポ、温かみと風情を感じさせるアコーディオン、歌謡曲のごとく情緒たっぷりで歌い上げる
岸田繁(Vo・G)のボーカル。どこかノスタルジックで、何かに守られているような幸福感すら感じさせる音像となっている。また歌詞も《川のそば》の景色を通して内心を省みるというもので、住み慣れた家に留まっていては起こらなかったであろう心の機微が表現されたものに。あてはなくても、ちゃんとした寝床はなくても幸せは得られる――そんな悟りを提示し、旅への憧憬を抱かせる一曲。
②ハイウェイ
終始8ビートで刻まれる佐藤征史(Ba・Vo)のベースとミュートのギターが、車両のエンジン音やトコトコとマイペースに走行する場面を想起させるナンバー。しかしここで歌われているのは穏やかな旅ではない。全体的にメランコリックな歌メロが敷かれていたり、《でっかい事してやろう》という言葉が繰り返し出てくるように、「現状からの脱却」を求める旅だ。《飛び出せジョニー気にしないで/身ぐるみ全部剥がされちゃいな》というフレーズもあり、後先考えず思い切って新境地に飛び込んでいくという相当な勇気や覚悟も表れている。だが、それでいて《僕には旅に出る理由なんて何ひとつない》とまるで何事もないかのように強気に言いのけてしまうところもあって、そこもこの曲の痺れるポイントだったりする。
③赤い電車
鉄道ファンである岸田が、京浜急行電鉄から直々に「テーマソングを作ってほしい」と依頼されて書き下ろしたコラボレーションソング。くるりが旅について言及した曲は、喧騒から離れ落ち着いた場所へと向かうイメージのものが多いが、今作は京急とのコラボということもあり、賑やかな都会のど真ん中を行くものに。ループする愛らしい電子音が、アーバンな雰囲気や「何かおもしろいものに出会えそう」というワクワク感を演出し、京急の電車のスピード感や初めて見る東京の景観に感激しまくるリリックが、純粋無垢な旅の喜びを象っている。また個人的には、《ファソラシドレミファソー》の後に続く、歌メロを追うような柔らかなベースラインも好み。未踏の地を巡るときめきが、曲の至るところで散見できる作品だ。
④夜汽車
8thアルバム『魂のゆくえ』に収録。この曲で真っ先に触れなければならないのは、
世武裕子によるピアノ演奏の素晴らしさだろう。ただ和音を鳴らすだけではなく、高音を多用した複雑なメロディも軽やかに奏で、まるできらめきが転がっていくような光景を思い浮かばせるのだ。こんなに明るくて美しい音楽と一緒なら、《あこがれ倒した あの街へ》向かう夜の旅路や到着地でどんなことが起こっても、前向きな気持ちで乗り越えていける――。そう思わせてくれるくらいの、実に華麗な奏楽である。またブラシを用いたドラムの陽気なリズムプレイも、門出を目一杯祝福しているかのようで良い。新しい場所へ出向くことを全力で肯定してくれる朗らかな音がここにある。
⑤キャメル
ベストアルバム『ベスト オブ くるり / TOWER OF MUSIC LOVER 2』と『まほろ駅前多田便利軒(オリジナル・サウンドトラック)』に収録され、永山瑛太と松田龍平が主演を務めた映画『まほろ駅前多田便利軒』の主題歌として書き下ろされた楽曲。東京の郊外で2人の男が人生の希望を見つけ出すという映画のストーリーに寄り添ってか、シンプルながらも地に足のついた逞しいバンドサウンドが特徴的だ。4つ打ちのリズムを力強く刻むアコースティックギターやドラムは《さぁ行け行け 陽はまた昇る》というリリックと相まってズンズンと前進していくような印象を持たせるし、要所要所に差し込まれるエレキギターの渋いリフは懸命に生きている者にこそ染み付く土臭さを漂わせる。また間奏での軽快な口笛のユニゾンは、まるでケ・セラ・セラの精神を象徴しているかのよう。人間どうにか生きていけるのだから何事にも恐れる必要はない、好きなところへ出掛けて行けと説いているようなタフなナンバーだ。ちなみにサウンドトラック盤の方のアウトロでは長編にわたるセッションが繰り広げられているので、そこも注目して聴いてほしい。
⑥How Can I Do?
配信&Blu-ray/DVD『くるくる横丁』に封入という形でリリースされた30枚目のシングル。「くるりのマーチ」ということで、サビには弾むような2拍子のビートや明るいクラップ音が敷かれ、前途有望な道を一歩一歩踏みしめていく画が思い浮かぶ。また徳澤青弦ストリングスが手掛けたアレンジも素晴らしく、ストリングスが甘美な音色を、管楽器が溌剌としたインパクトのあるフレーズを放っていて実に希望的だ。どこまでも歩いて行けてしまいそうな溢れんばかりのバイタリティが秘められつつ、上品さも兼ね備えられた楽曲である。また、岸田の歌もこの曲でさらに発展したように思う。これまで以上になめらかでしっとりとした声質となり、歌に優しさや柔らかさが宿った。
⑦その線は水平線
多国籍な音楽を追求していた2010年代のくるりが、久々にストレートなロックサウンドに回帰した今作。BPM100くらいのテンポで、かなり歪みが効いたギターやベースがゆったりと鳴らされる様は、大海原で波が寄せては返っていく光景を想起させる。また間奏に入れ込まれる
ファンファン(Trumpet・Key・Vo)の輝かしいトランペットソロは、海の上を高く飛んで行く一羽の鳥を表しているかのようだ。途方もなく広がる海と空を見事に音楽で再現したこの曲を聴いていると、言わずもがな同じ景色を見たくなるし、そこで佇みたくもなる。しかし視線を向けなければならないのは、《飛び込んでしまえよ/どこにも行かないさ/どこにも行けないの?》というフレーズ。「結局、海に来ても(旅をしても)現実から逃れられるわけではない」という真理に触れ、旅が直接人生を変える「魔法」ではないことを示唆しているのだ。だが、だからこそ、2番のサビで据えられた《少し歯をくいしばってよ》という、現実と向き合う人々へ向けられた言葉が身に沁みる。今作はくるりと「旅」の関係性が明らかにされた、重要な楽曲だと言えるだろう。