シーナ&ロケッツ・鮎川誠が膵臓がんで逝去。74歳

シーナ&ロケッツの鮎川誠が、1月29日に膵臓がんで亡くなったことが発表された。

オフィシャルサイトの発表によると、昨年5月に膵臓がんが発覚し、医者から余命5ヶ月程という宣告を受けたといい、みんなに心配をかけたくないという強い希望から一切病気を公表せず、ライブの合間に治療を続けながら全国ツアーを続行していたとのこと。

なお、通夜・葬儀は長年暮らした下北沢でシーナと同じ「ロック葬」で執り行われるという。

鮎川誠は、1975年にサンハウスのギタリストとしてメジャーデビュー。
1978年にはシーナとともにシーナ&ロケッツを結成し、10月にシングル『涙のハイウェイ』でデビュー。2015年2月14日シーナが病により急逝するも、鮎川はオリジナルメンバーの奈良敏博(B)、川嶋一秀(Dr)と共にライブ活動を続けていた。


【鮎川誠のファンの皆様、関係者の皆様へ】
1月29日5時47分、鮎川誠が永眠いたしました。
膵臓がんでした。
これまで鮎川誠とシーナ&ロケッツを長年に渡って応援し、愛してくださり、本当に有難うございました。

鮎川は1966年の初ステージ以来、現在まで57年間に渡りノンストップでロックンロールを続けてきました。
昨年5月、膵臓癌が発覚。医者から余命5ヶ月程という宣告を受けました。
ですが、みんなに心配をかけたくないという強い希望から一切病気を公表せず、ライブの合間に治療を続けながら全国ツアーを続行しました。
「自分が死ぬまでの間に1本でも多くシーナ&ロケッツのライブをやりたい」と1本1本のライブに全身全霊を注ぎながら行なってきました。

昨年には45周年記念ライブを新宿ロフトで開催し、47都道府県ツアー、沖縄・宮古島でのライブ、ロンドンナイトのクリスマスなど、重いレスポールを爆音でかき鳴らし、病があるにも関わらず、いつも熱いステージで昨年のライブ本数はここ数年で最多でした。 昨年末激しい腹痛により一時入院となるも、この1ヶ月間は医師の治療の下、ライブ復帰を目指して自宅で懸命に家族と回復に努めておりました。

亡くなる直前まで次に出すアルバムの選曲を考えたり音楽制作に没頭しておりました。
最期の瞬間までロックに身を捧げた生涯でした。
鮎川誠、そしてシーナ&ロケッツを愛してくださった皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。
心からありがとうございました。

通夜・葬儀は、長年暮らした下北沢で、シーナと同じ『ロック葬』で送りたいと思います。
どうぞ当日は遠い世界に旅立つ鮎川誠に会いに来て最後の別れの言葉をかけてあげてください。

ロケットダクション
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