忌野清志郎を支え続けた男・三宅伸治が「bridge」で語る

「(清志郎のことを)季節季節で思い出したり、どこかに行ったら思い出したりするんですけど。でも、曲を聴いたりすることは、なんか不思議と……悲しくなんないんですよね」

忌野清志郎がこの世を去ってから一年。
最初は運転手として、次はギタリストとして、さらに一緒に詞曲を生み出すプロデューサーとして、清志郎と最も長い時間をすごし、もっとも多くの創造活動を共にしてきた三宅伸治が、忌野清志郎を語った。

掲載は現在発売中の「bridge 64号」から。インタビューでは、清志郎との出会いから別れ、そしてその音楽についてたっぷりと語っている。

三宅は高校時代に仲井戸麗市が所属していたバンド・古井戸の前座をやったことから、仲井戸との親交が始まる。それがきっかけとなり、その後上京した三宅は、長期の免停中だった清志郎の運転手を務めることになったという。清志郎との出会いのエピソードを以下のように語っている。

「初めて家に行った時、まだアパートだったんですよね。まずその環境にびっくりしたっていういか(笑)。ノックしたら、すごい厚いメガネかけて、寝起きの感じででてきて」

さらに清志郎のアイディアの面白さや唐突さに驚くことが多かったことも明かしている。

「夜中にファックスが来るんです。“バンド名を考えたんだ”って、10個くらいバンド名がわーって書いてあったりとか(笑)」

また、アルバム『KING』、『GOD』は、三宅が共同プロデュースとして共に制作した作品。この作品については、以下のように回想する。

「『KING』『GOD』ができたことは……大きかったような気がします。僕にとってもすごい大きかったし、『大傑作ができた』って、ボスの口からも言ってもらえたり」

清志郎が亡くなる直前まで支え続けた三宅にしか語れない、清志郎像が浮き彫りになった貴重な内容だ。
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