元オアシスのノエル・ギャラガーはオアシスとしての4枚目のアルバム『スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ』はリリースするべきではなかったと語っている。
グラントランド誌の取材に応えてノエルは傑作として名高い1995年の『モーニング・グローリー』以降は、音楽を書く欲望も失ってしまい、バンドも道を見失ったと語っている。
「『スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ』は絶対に作るべきじゃなかったんだ。俺もどん詰まりだったからね。音楽を作る動機なんてもうさっぱりなくなってたんだよ。なんのドライヴもなかった。あれだけたくさんレコードをもう売ってたわけだから、意味がないように思えてたんだよね」
「それでも一歩踏み出してやっちゃったわけだけど、インスピレーションなんてなにも感じてなかったし、どこを探してもインスピレーションなんか見当たらなかったんだ。ただ、アルバムを作るという目的のためにだけ、俺は曲を書いていったんだよ。ツアーに出る言い訳が必要だったんだよね。でも、当時は俺もそんなふうには考えてなかったよ。みんな全員で“ゴー・レット・イット・アウト”はよくできてると思ってたから」
ノエルはオアシスのファーストとセカンドの2枚をピークにして、自分のキャリアは普通のキャリアを逆行するようなものになったと語っていて、また、3枚目以降のノエルのソングライターとしての力がずっと下降線をたどっていると言われると気に障ることも説明している。
「『モーニング・グローリー』関連の活動がひとまず落ち着いたところで俺はレノン=マッカートニー以来最強のソングライターだとまで持ち上げられたんだよね。今ではそうじゃないって俺はわかってるし、当時もそうじゃないとわかってたよ。でも、あの時期以降誰もが俺について考えることは、『こいつどうしちゃったの? ファッキン・ビートルズ以来のすごいやつじゃなかったの?』っていうことだけなんだよね」
さらにノエルはこう続ける。
「たとえば、俺のキャリアはまったく逆コースをたどったと考えたとするよ。今度のソロが実は俺のデビュー作で、俺にとって2000万枚も売れたのは最後の2枚のアルバムで、最初の2枚ではなかったと、そう仮定するとしようよ。すると、今度のアルバムとオアシスの3枚目以降の間にある作品もすべて、ファーストとセカンドへと積み上がっていく、ものすごい軌跡となっていくんだよ。どのアルバムも偉大さへの道標となった作品として受け取られることになるんだ」
また、ノエルはオアシスをやめたのはリアムが自分の友人らへの挑発を重ねていたこと、さらにリアムとノエルの関係が暴力的なものになったからだと説明している。
「リアムも自分が口にしていたファッキン言葉に責任をとる必要があるんだよ。俺には俺の付き合いや友人たちがいて、リアムはこういう人たちの神経を逆撫でするようなことばかり言ってたからね。もう何年も俺はこういうことを無視してきたわけで、それはバンドの方がもっと重要だと思ってたからなんだよ。でも、ある時点でもう我慢ならなくなってきたんだよね。そして、事態が暴力沙汰になった時点で、俺はやめたんだよ」
さらにノエルはこう続けている。
「暴力的なロック・バンドなんかに我慢しているなんて意味ないからね。アホだろ、そんなの。そもそも俺たちのバンド観はまるで違うものだったからな。俺はいつだって曲が一番重要なことだと考えてきたんだけど、リアムが重要だって考えてきたのはカオスだからね」
ノエルはソロ・デビュー作『ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ』を10月12日にリリースする。
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