ノエル、失業保険を受けて曲を書いてたら、次に曲を書く時はファンが2000万人いたと語る


ノエル・ギャラガーは、オアシス初期の楽曲のほとんどを、失業保険を受けながら書いたことで知られているが、デビューして大ブレイクすると自身の音楽への自信も揺らいだことを明らかにしている。

『Mail On Sunday』誌の取材に答えたノエルは当時のことを次のように振り返っている。

「『デフィニトリー・メイビー』から『ビー・ヒア・ナウ』までの曲っていうのは俺がまだ失業保険で食ってた頃に書いてたものなんだ。コードもアレンジもメロディーも出来上がってて、あとはところどころ歌詞が間に合わせで書いてあって。曲を書いてる時っていうのは、誰が聴くことになるのかまだわからないもんだからね」

「それから次にまとまって曲を書く段になった時には『俺たちにはもうファンが2千万人ついてるぜ』っていう世界になっちゃってたんだよ。すると、みんなのアルバムへの期待が異常に膨れ上がってて、『ん~、どうしようっかなあ、パブに行こうかな』ってことになるんだよね」

その一方でノエルは自身の苦悩などを作品でさらけだすような作風にも疑問を呈していて、個人的な問題などは聴き手にとってどうでもいいことだと次のように説明している。
「俺の好きな曲っていうのはどれも、自分のかさぶたをはがすようなことはしないソングライターによるものなんだ。たとえば、ジョン・レノンだったら、母親についての作品はどれも興味がないし、それは俺にはなんの意味もないからなんだよ。"マザー"なんてジョン・レノン以外の誰にも意味の持ちようのない曲じゃん?」

「俺にはわからないし、それはジョンが自分の母親について歌っているんであって、俺の母親の問題じゃないからなんだよ。虐待的な父親というんだったら、それは俺の領分になるけど、そんなことを俺は誰とも分かち合いたくないし、曲にして書いてみたりもしたくはないよ」