デイヴ・グロール、ニルヴァーナで曲を書く時はほとんど何も喋らなかったと語る

デイヴ・グロール、ニルヴァーナで曲を書く時はほとんど何も喋らなかったと語る

10月9日に『イン・ユーテロ』の20周年記念盤をリリースするニルヴァーナだが、デイヴ・グロールはこのアルバムや当時のことを振り返って作品として「ものすごい達成だった」と言い切った上で「でも、ものすごい面倒なことになってた日々としてもまた思い出されるよ」と『ローリング・ストーン』誌に語っている。

元々『ネヴァーマインド』の制作直前に加入したデイヴにとって当時のバンドの居心地はどういうものだったのかという問いにデイヴは、それまでずっと知り合いばかりとバンドを組んできた自分にとっては少し具合が違ったと振り返っていて、確かにカート・コバーンには自分を周りから切り離していく傾向も強かったと語っている。ただ、とても純粋でやさしい一面もあって、人を意図的に嫌な気分にさせるような人間ではなかったと回想している。それでワシントン州オリンピアに移った当初はカートと同居することになって、ある種の絆も生まれたというが、その絆はカートとクリス・ノヴォゼリックの絆とはまるで違うものだったとしていて、カートとクリスの関係を次のように説明している。

「クリスとカートは本当に気持ちの通い合っている仲なんだなと思ったよ。二人には本当に美しくて、言葉の介在しない、以心伝心みたいなのがあったんだ。ニルヴァーナの美学というのはカートとクリスの二人が決定していたものなんだよ。どんな捻りも、ニルヴァーナの変なところは全部クリスとカートのものだったんだ。俺の意見では、二人がアバディーンで育ったことと、思春期を一緒にそういう土地で経験したことが大きく関係してるんだろうなと思ってるんだけどね」

あるいは"サーヴ・ザ・サーヴァンツ"の「Teenage angst has paid off well(10代の怒りの元は取れた)」という歌詞については次のように語っている。

「その歌詞はどこから来たのか俺は知らないんだけど。ただ、ニルヴァーナについてはいろんな人たちがまともに評価しようとしなかったんだ。なぜかというと、評価されるべきなのは自分たちだからなんだよ。その気分は俺にもよくわかるよ。ニルヴァーナほどデカいことになっちゃったバンドに関わること、ニルヴァーナについてはどんなことでも腹が立つという人がたくさんいるということは俺もよく知ってるんだ。

ニルヴァーナの人気が出た時の状況の変化は本当にしんどかったんだ。もともとアンダーグラウンド・パンク・シーンにいたわけで、自分たちのヒーローが(フガジの)イアン・マッケイとか、(ビート・ハプニングスの)カルヴィン・ジョンソンだったりするわけだからね。こういう人たちにはどうしても認められたいわけだよ。それでミュージシャンとして一人前になれたとわかるわけだからね。俺は本物なんだって。

ただ、俺個人の場合には本当にラッキーだったんだ。(ニルヴァーナで成功してから地元の)ワシントンDCに戻ってみても、俺が尊敬してた人たちがみんな、俺が大企業お抱えのロック・スターになりやがったことを(笑)、誇りに思ってくれたからなんだよ。だから、俺の場合にはそういう不安や悩みが途端になくなっちゃったんだよね。俺はそのことで悩んだことはもうないんだ。だけど、カートが抱えてた不安にはそういうことも関係してたんじゃないのかな。自分が自分であることを地元のシーンの人たちが認めていないんじゃないかと不安に思ってたんだよ」

また、1992年はかなりバンドにとっても不安の多い年で、ロラパルーザやU2のボノ、ガンズ・アンド・ローゼズなどから出演やサポートの話が舞い込んで、自分たちでも信じらない人気を博していった一方で、デイヴはもうマッチが燃えかけているようになにかが終わっていくような心境で過ごしていたという。そこへカートから「新曲があるんだ」と持ちかけられて“フランシス・ファーマー・ウィル・ハヴ・ハー・リヴェンジ・オン・シアトル”を聴かされた時に、デイヴは「なんだ、アルバムをもう1枚は作れるんじゃん!」と嬉しかったという。

「その日は俺んちの地下にいたんだよ。カートは『ちょっと聴いてみてよ』ってリフを弾いたんだ。それから“ヴェリー・エイプ”のリフも弾いたんだよね。その日、そのままジャムったんじゃないのかな。ニルヴァーナでは曲を書く時って、ほとんど何もしゃべらない感じなんだよね。なんでもシュールな感じにしたかったし。かっちりした作曲にはしたくなかったんだよ。“ハート・シェイプト・ボックス”だったら、まずジャム・セッションから始まって、カートがまずリフを弾き出して、それからクリスがなにか考えてたものをそこに投入して、そんな二人に合わせて俺がなにか叩いてみるという感じでね。ある種のダイナミズムを摑むとそのまますごくラウドになって、それから静かになってまたラウドになるという。ニルヴァーナの動から静へというやつの多くはそういうジャム・セッションでの実験で生まれたものなんだよね」

また、この時期はカートがヘロイン依存症に溺れていったと指摘されてもいるが、デイヴは20歳になったのを境に完全に薬物やドラッグはやめていたので、直接そういう現場には居合わせることもなかったと語っていて、ただ、佇まいに物憂げなところが増えてきたことから、なんとなく察知してはいたとデイヴは語っている。また、『イン・ユーテロ』のセッションではまったくそれを感じさせなかったのでわからなかったとデイヴは説明している。

またデイヴの書いた曲“マリーゴールド”を使うことになった経緯については、カートが寝ている間にスタジオでカートを起こさないようにヴォーカルをレコーディングしていると、カートがスタジオに入ってきて、「聴かせてよ」という話になったと次のように説明している。

「そこで座ったまんま何度か聴いてみてね。それから俺が高音部のハーモニーを歌って、カートが低音部のハーモニーを歌ってくれてさ。人と曲を書くっていうのは妙なもんだったよ。それまでやったことなかったからさ。(フー・ファイターズでも)俺はまず曲を書いてきて、それをバンドとやるという感じだからね。でも、人と面と向かって曲を書くっていうのは、これまた別のものなんだ。カートだってそんなことやったことがなかったのかもね。なんかぎこちないブラインド・デートみたいだったな。『お? おまえも歌えるの? じゃあ一緒に歌おうよ』ってカートに言われて。俺もまだあの頃は引っ込み思案だったからさ。

俺としては純粋に嬉しかったんだ。確か憶えてるのは、スティーヴ(・アルビニ、『イン・ユーテロ』のプロデューサー)だったのかな、“マリーゴールド”を本編に入れようって言ってくれて。俺、もうビビりまくって(笑)。いやいや、ちょっと待って! それじゃあドラマーをめぐるあの有名なジョークと一緒になっちゃうからってね。『ドラマーがクビになる前に言った最もマズかった一言って知ってる? それは、俺も曲書いたぜって一言だろ』っていう。

当たり前だけど、“マリーゴールド”は本編には入らなかったんだ(シングル"ハート・シェイプト・ボックス"のB面曲になった)。それでよかったよ。というのは、このアルバムのカートのヴィジョンは完全なものになったからね。でも、俺としてはそれだけでも嬉しかったんだよ。『本当に気に入ってもらえたの?』ってね」
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