ディーヴォのジェラルド・キャセール、弟のボブの死に対して追悼のコメント

ディーヴォのジェラルド・キャセール、弟のボブの死に対して追悼のコメント

2月17日に心不全で他界したディーヴォのボブ・キャセールを、兄でバンドの中核を担っていたジェラルドが偲んで『ローリング・ストーン』誌に次のように語っている。

「ボブは僕たちの音楽を作っていく上では欠かせない存在だったんだ。僕たちの“Satisfaction”では、まずボブがあのギター・ラインを思いついて、それから僕たちがみんなでその周りに肉付けしていったというものだったんだ。だから、きっかけを作ったのはボブだったんだ。あるいはマーク・マザーズボウはクラヴィネットを持っていて、それでコードを5つ使った曲を考えて、それが“Gut Feeling”となったんだけど、あのねじれて裏返ったバーズのリフみたいなのを考えついたのはボブだったからね。ボブは常にそういうことをやってたんだよ。僕たちの“Secret Agent Man”のカヴァーのようなギター・ラインが得意でね。本当に機械のように弾けたんだよね」

「僕には4人兄弟がいて、ボブが一番歳の近い弟だったんだ。4歳離れてたんだけど、幼いころからすごく、ものすごく関係が密だったね。若いうちも好きな音楽が一緒だったから。デトロイトのものすごくいいラジオ局も聴けたから、モータウンやR&Bやシカゴ・ブルースをたくさん聴いたもんだよ。そういうのが一番好きだったんだ、大ヒットしたポップ・ミュージック以外ではね。ザ・ローリング・ストーンズとか、ビートルズ、キンクス、ジェイムス・ブラウンなど以外ではね」

「僕たちがミュージシャンとして活動するようになったのは僕が大学院に行ってた頃だったんだ。ディーヴォのコンセプトをよく話し合って、ディーヴォの虫を僕はボブに植え付けてたんだよ。そのうち、マーク・マザーズボウと僕はこのコンセプトについてマジでやりたくなってきたから、お互いの兄弟を引き込むことにしちゃったんだ。それで僕は弟のボブを、マークも自分の弟のボブを口説いたんだよ。突然、僕たちは本物のバンドになっちゃったわけでね。1974年にディーヴォとしてセッションを始めるまでは、ディーヴォのメンバー同士で演奏したことは一度もなかったんだ」

ボブの死をジェラルドは次のように語っている。
「最後にボブに会ったのは死の3日前だったんだ。電話ではその前日の晩に話したよ。なんにも様子が悪いところはなかったから。心不全で亡くなったんだけど、それは結果であって、原因じゃないからね。症状としては胃壁に裂け目ができて、胃の中への出血がずっと続いてたんだ。だから、胃の中からその血を出しつつ、身体には新しい血をどんどん輸血しなければならなかったんだよ。でも、出血のペースに追いつけなくて、血圧が低下し続けて、その低血圧に心筋が耐え切れなくなったということなんだよ」

今後の活動についてジェラルドは次のように語っている。
「ボブはきっとディーヴォを続けてほしがるはずだと思うよ。ただ、どうなるのかはまだわからない話だけど。でも、僕の一存で決められるというんだったら、僕は続けるよ。僕としてはライヴの活動の稼ぎの一部をボブの子供たちに分けるようにしたいよね。まだ援助が必要なはずだから。ディーヴォとしてボブ抜きで演奏したことがあるのは1973年にボブが参加する前に1回きりのライヴをやった時だけなんだ。その頃はまだメンバーは4人だったんだよね。だから、今後ボブ抜きでライヴをやることになったら、40年以上ぶりということになるんだよ」
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