ザ・ビートルズのアメリカ上陸50周年。その偉業を振り返る

ザ・ビートルズのアメリカ上陸50周年。その偉業を振り返る

昨日4月4日はアメリカでザ・ビートルズが1964年にある偉業を達成した50周年に当たるが、その偉業というのがシングル・チャート1位から5位まで独占したというもので、この偉業をUSAトゥデイ紙があらためて振り返っている。

この時のシングルは1位が"キャント・バイ・ミー・ラヴ"、2位が"ツイスト・アンド・シャウト"、3位が"シー・ラヴズ・ユー"、4位が"抱きしめたい"、5位が"プリーズ・プリーズ・ミー"で、1位から5位までの独占というのはその後二度と繰り返されたことはないとビルボード誌の編集顧問を務めているキース・コールフィールドが解説している。

「本当に稀有な瞬間で二度と繰り返されることはないでしょう。ビートルズのアメリカ襲来のピークにあった時期で、数百万のファンがいっぺんにビートルズの魅力をこの時期にひもといていたんですよ」

また、ビートルズ研究で知られるマーティン・ルイスはこの年の2月にビートルズがテレビの『エド・サリヴァン・ショー』に連続して3回も出演を果たしていたばかりでビートルズへの渇望に近いニーズがアメリカで起きていたこと、さらにその前年11月にはケネディ大統領暗殺という衝撃的な事件に見舞われていたため、アメリカ国民の大多数にとって『エド・サリヴァン・ショー』でのビートルズの溌溂としたパフォーマンスは大きな慰めとして心に響いていたと指摘している。

さらにそれまでのビートルズのリリースが無軌道なものになっていたため、アメリカのオーディエンスはビートルズの数々のヒット曲に一度にさらされることになったのも大きかったとルイスは解説している。提携相手としてもともとビートルズの音源のアメリカでのリリース権はキャピトルにあったはずだったが、ビートルズが1963年の間にヨーロッパで一大現象となってマーケットを制覇していったにもかかわらずキャピトルは63年中はアメリカでのビートルズのシングル・リリースを幾度も見送っていた。その間にヴィー・ジェイ、トリー、スワンと他社のレーベルがシングル・リリース権をそれぞれに取得し、64年4月には4社からリリースされているシングルが一斉に出回っている事態になったという。そのせいで、この週のトップ5では正規レーベルのはずのキャピトルのシングルは2枚だけにとどまることになった。また、この数週間に4社からリリースされたシングルは、その後1年間はチャートとラジオでのオンエアを独占することにもなったとルイスは説明している。

さらに50年前の4月4日付のチャートでビートルズはアルバム・チャートの1位と2位も独占していて、1位はアメリカにおけるビートルズのセカンド・アルバムでキャピトルからのリリースとなった『ミート・ザ・ビートルズ』、2位はアメリカでのファーストでヴィー・ジェイからのリリースとなった『イントロデューシング・ザ・ビートルズ』だった。

シングルとアルバムのこの独占状態は今も前人未到の域になっていて、唯一近い状況は2005年3月に50セントが"キャンディ・ショップ"で1位、"ハウ・ウィ・ドゥ"(ザ・ゲームのシングルへの客演)で4位、"ディスコ・インフェルノ"で5位につけた時のみだという。また、アデルも2012年にはシングル・トップ5内に2曲チャート・インしつつ、アルバム『21』と『19』がそれぞれに1位と4位にランクインするという記録を保持している。

さらに、1964年の4月4日の週にビートルズはトップ5を独占しつつ、実はトップ100以内には計12枚ものシングルをチャート・インさせていたが、その翌週にはこれを14枚にまで伸ばすことになった。これに一番近づいたのがドレイクで2013年10月に12枚のトップ100内へのチャート・インを成功させている。

また、ビートルズはチャート1位シングルを20枚という大記録も保持しているが、これに一番近い記録を持っているのが18枚のマライア・キャリー。しかし、マライアは18年近くかけてこの記録を達成しているのに対して、ビートルズは20枚をたったの6年で達成しているのだ。
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