ライアン・アダムスが、気難しくて、サービス精神のかけらもないアーティストだというのは熱心な洋楽リスナーにはよく知られていると思う。そして、そんなのはどうでもいいことだというのも、周知の事実だと思う。
けれども、音楽は誰かに届いて初めて意味がある、というのもまた真実だ。聴き手の求めるものに応えるのかそうでないのか、または、応えるとしてどう取り組んでいくのか、というのがアーティストにとっての課題のひとつであることもまた、嘘ではない。
ライアン・アダムスというアーティストは、その点で、絶対妥協してこなかったアーティストのひとりだ。
クリエイティブ・コントロールを握ること。表現に妥協をしないこと。その徹底した精神が、この『Gold』というアルバムには隅々まで漲っている。それが、結果的にポップ・ミュージックとして成立していたことは、本当に奇跡的なことだ。だからこそ、時々引っ張り出して聴く度に、このアルバムは決してその本質を変えることがない。よく、「聴く度に深みが……」という作品があるが、このアルバムには、歌詞の解釈だとか、サウンドの細部にそういう部分があっても、全体的にがつんとくるポップネスにおいて、決して変わることがない。オルタナティブと呼ばれるものの極みでもありながら、ぱっと聴きひねくれたところがない、真っ直ぐなレコードだ。いつ聴いても、清々しくて、しかしほろ苦くて、最高のアルバムなのである。
ライアンは15年を記念してインスタグラムにメッセージをアップしている。
「本当の自分でなくちゃ。売れる何かじゃなくてね。僕はそういう問題とは無関係だったけど。おかげで面倒くさいと思われたけど、言いたいことなんて何もないです、ってふうに振る舞わなくて済んだからね。僕には言いたいことがあったから」
15年前、例えばMTVでストロークスの”Last Nite”が流れた瞬間、それはあまりにも新鮮な、メインストリーム・カルチャーへの殴り込みだった。あれからというものインディ・ロックとポップの定義は確実に書き換えられた。ポップ・ミュージックそのものが様変わりした。ライアンもまた、そんな時代の流れのど真ん中にいたアーティストだった。
ライアン・アダムスは去年、テイラー・スウィフトの『1989』を全編カバー(というか再構築)する作品を出したが、それが大歓迎されたのは、本当に幸せなことだったと思う。00年代のポップ・ミュージックがある意味で集大成を見たと言えるからだ。
この作品から15年ということは、ニューヨークの同時多発テロからも15年である。本作には奇しくも”New York, New York"が収められている。9月11日に発売される予定だったウィルコの『Yankee Hotel Foxtrot』同様、宿命の作品でもある。