ジェイムス・ブレイクの東京国際フォーラム来日公演を観て

ジェイムス・ブレイクの東京国際フォーラム来日公演を観て

遅ればせながら、ジェイムス・ブレイクの東京国際フォーラム来日公演について。

例えば、楽しいことを「楽しい」と、悲しいことを「悲しい」と表現するよりも、楽しさや悲しさをより伝えることのできる言葉は(組み合わせ次第で)時に存在する。ポップ・ミュージックにおいて当たり前ながら、聴き手側としてはぼんやりとした共通認識として存在していたその価値観を、ジェイムス・ブレイクは、ファイストの歌に、ジョニ・ミッチェルの歌に、自身の父親の歌に見出し、2010年代の方法論で自分の表現として打ち出した。

過去の作品に普遍性を見出すことだけなら、多くのアーティストがやっている。だがジェイムスが違ったのは、「歌そのもの」を自身の表現として具現化すると同時に、ビートと「間」を用いたことだ。そのバランス感は本当にスマートで、美意識の高さを感じさせるが、かといって、形だけ格好いい音楽ということではけっしてない。彼の音楽はあくまでもエモーションの解放として機能する。そこが、ジェイムス・ブレイクの凄さだ。

これまでの単独来日公演では、コードチェンジがエモーションの行き場を握る場面が圧倒的に多かった。だが、今回の来日公演では、ことさらドラマチックさを掻き立てるのではなく、そんな、ジェイムスの、本来の表現者としての力量をしっかりと伝えていた。素晴らしいライブだった。

ライブのメンバーであるエアヘッド、ベンに感謝の意を表す場面があったが、ジェイムスが自身の嗜好をどこまで反映させるのか、そのあたりのバランスを、彼らとのイベント:1800Dinosaurを通じても取っているからだろう。
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