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    あの頃のボウイ

    あの頃のボウイ

    ご存知、80年リリースの『スケアリー・モンスターズ』。

    実はこのアルバムが録音されていた80年の初頭〜春頃、筆者は1曲目”It's No Game (Part 1)”で日本語のナレーションをしている日本人女性=ミッチ広田さんの西ロンドンのフラットに居候させてもらっていた。

    ちょうど英国滞在ヴィザ延長のトラブルを抱えていた時期で(今より手続きしやすかった当時でも学生ヴィザでは延長に限度があった)、
    考えあぐねたあげく、10ヶ月ほどパリで亡命生活をした後、
    ロンドンへ帰還することに。
    おかげでロンドンへ帰ってきた時は一文無し、文字どおり着の身着のままだった。

    かといって、またあの北ロンドンのスクウォット生活に戻る気力はとてもないし、、、。
    困りきっていたところ、「じゃあ私のフラットにしばらく居れば?」と信じられないほど親切なオファーをしてくれたのが、このミッチ広田さん。

    彼女は今でもジョー・ストラマーと並び、私の大恩人です。


    で、ちょうどその頃、歌や演技の経験もあるミッチさんに「今度のボウイの新作制作に関わりませんか?」というオファーが来た。

    彼女のご主人であるジョージ広田さんも、日本人ミュージシャン&パーカッショニストとしてヨーロッパを拠点に活躍していられていて、
    当時はリンゼイ・ケンプ(ボウイも昔、弟子入りしていた著名な英アングラ舞踏家&俳優。因みに、ゲイ)・ダンス・カンパニーのミュージカル・ダイレクターでもあったので、
    たぶんそのコネを伝って来た話だったと記憶している。

    そんなわけで、その後ボウイのマネージメントやパブリシストから、筆者が居候していた西ロンドンの小汚いワンルーム・フラット(ごめん、ミッチさん)に、よく電話がかかってくるようになり、
    ミッチさんがリハや録音セッションを終えて帰ってくるたびに、その日のボウイの様子などを根掘り葉堀り聞きながら、ワクワクしたり驚いたり。
    (当時のボウイはかなりのアル中だったらしく、「朝から酒の匂いがするのよ(苦笑)」というミッチさんの言葉が今でも印象に残っている)。

    で、『スケアリー・モンスターズ』のリリース前になってくると、
    今度は日本の著名なジャーナリスト達まで、ミッチさんに取材をしに来るようになった。
    水上はるこさんとは、確か一緒にミッチさんの手料理まで食べたはず(笑)。


    とにかく洋楽フリークだった筆者にとっては、当時の生活苦も大失恋(婚約していたフランス人の彼氏とも破局したばかり。彼はお母さんが英国人だったため英語はペラペラ。おかげで筆者はパリ滞在中も仏語を全くマスターできなかった、とほほ、、、)を吹っ飛ばしてくれるほど「超エキサイティング!」な時期だったわけだが、

    その後、89年の『ティン・マシーン』リリース期に、
    まさかそんな自分がボウイご本人にインタヴューすることになるとは!!
    マジで夢にも思っていなかった。

    運命ってつくづく不思議だなぁ、、、。
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