続きです。
今発売中のJAPANのインタヴューのなかで、岸田はこう語っている。
「聴いた人たちには、ぶっとんだものだったりとか、変な音が入ってたりとか言われることもあるけど。でも、すごい普通のものを作ろうとしたらこうなった」
この発言は非常に正しく、このアルバムを言い表している。
つまり、「ぶっとんだもの」も「変な音」も、「普通のもの」だと思える人が作ったアルバムだということだ。
”Liberty&Gravity”、「ぶっとんだ」「変」という意味ではアルバムの中でもっともラジカルな曲と言える。
それから、”Remenber me”。
「普通にいい曲」という意味ではアルバムの中でもっともコンサバティヴな曲と言える。
ここで、冒頭に戻ろう。
「新しさ」。
そして、「懐かしさ」。
『THE PIER』の中には、その両極が確かに存在している。
それはMVを貼った2曲を聴くだけでもよくわかるだろう。
しかし、「新しさ」と「懐かしさ」が別々の物体として、まるで水と油がぱっきりと分離するように存在しているわけではない。
岸田繁というクリエイターの中に――というか、岸田が「自分がいる」と思える音の中に渾然と存在している。
そして、その状態のことを、岸田は今作において、「普通のことだ」と言っている。
「新しい」何かを作ろうとしたわけでもなく、「懐かしい」何かを作ろうとしたわけでもない。
ただ、自分が「普通にいい」と思えるものを作った。
『THE PIER』はその結果生まれた、素晴らしい傑作である。
そして、その「普通」的姿勢というのは、やはり今の岸田だからこそたどりついた、とても実直で、だからこそ実にアーティスティックな姿勢だと思う。
そんなふうに作られたこのアルバムをもっともっと文学的に表現してしまおう。
このアルバムは岸田繁という人トータルの「心象風景」をそのまま写したアルバムなのだと思う。
その意味において、岸田は自身の「心象風景」という唯一無二の岸田繁的世界をついに完璧に音楽にした、ということなんだと思う。
僕はこの作品を「新しい」ものとしても聴いているし、「懐かしい」ものとしても聴いている。
しかし、どこかありがたい「新しさ」というよりも、妙にセンチメンタルな「懐かしさ」というよりも、つまり「普通にいい」ものとして聴いている。
ただ単に、未だかつてなく、岸田繁的なもの、として聴いている。
この心象風景に浸るということは、僕にとって、母親が作った二日目のカレーをやっぱりうまいと感じ、16歳のヒロスエと34歳の広末を重ね合わせて変わらず心をときめかせる作業のことだ。
「懐かしく」て、もっとも「新しい」感動。
その感動の中には、ものすごくトータルの、僕で言えば35年間分の自分がいる、という感じがする。
『THE PIER』、なんて素晴らしいアルバムなんだろう。
まさに一生もののアルバムだ。