バンドが再生するということ


下のブログを書いた後、このアルバムのことを思い出した。
先日リリースされたR.E.M.の『Live At The Olympia In Dublin』。2枚組のライブ・アルバムである。

この作品は、通常のライブ・アルバムとは少々趣を異にする。
ほとんどのライブ・アルバムが話題になったアルバムのフォロー・ツアーを収録してリリースしたものか、
あるいは、キャリアの一里塚的にそのときどきのベスト・セットを記録したものだったりするのに対して、
この作品は、これから作ろうとしている新作のためのウォーム・アップとして、
新曲を含んだセットを少数のオーディエンスを前にパフォーマンスしたもの、なのだ。
つまり、公開されたリハーサル、なのである。

結果、制作されたアルバムが『アクセラレイト』(2008)で、
このアルバムがR.E.M.の「復活」作となったのは記憶に新しい。
ここ3作ほど、つまりは10年に及んでしまうほど、
その名前に見合う作品と結果を出したとは言えない沈滞期にあったバンドが久々に熱量を持ったアルバムとして話題になったものだ。
本人たちとしても、悩んだのだと思う。
『アップ』や『リヴィール』、『アラウンド・ザ・サン』には、
『グリーン』から『アウト・オブ・タイム』、『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』、
『モンスター』、『アドヴェンチャーズ・イン・ハイ-ファイ』と連ねられた、
キラ星のような輝きは正直なかったのだ。

そこで、彼らは、次作の試運転期間にこのような公開リハといったものを設けて、
何かをつかもうとしたのだ。
公開であるということが実は一番重要だったのかもしれない。
スタジアムやアリーナではない、小さな空間でその表情や息遣いまで見えてくる観客を前に、
彼らは新しい曲を聴いてもらい、バンドの現在をさらしたのだ。
実際、このアルバムには観客との曲間のやりとりなどもオミットせずに残してある。
それは、誰もが口をそろえて「世界でもっとも重要なロック・バンドのひとつ」と呼ぶあのR.E.M.が、
名前も知らない単なる観客に「判定」してもらったということである。

これは、すごいことだと思う。
そして、それができたR.E.M.は、結果、シーンの前線に戻ってきたのだ。
そんなふうに思いながらこのアルバムを聴いていると、
ロックとはそもそもどういうことなのか、そのことに思いを馳せる。