2011年上半期私的ベストAL第10位


ビヨンセの『4』を選出。

先行シングル「ラン・ザ・ワールド(ガールズ)」以外はほとんどがバラード曲が占めるといっていいこのアルバムは、キャラクターを設定しコンセプチュアルに演出された前作に比べて地味で、したがってセールス的にもビヨンセにしては今のところ爆発的とは言いがたい現状ではある。実際、あのどこまでも突き抜けるように明るく躍動的なビヨンセを期待してこのアルバムに向き合うと、肩透かしをくらったような気持ちにさせられるかもしれない。

しかし、そんなことは、この作品の全編でうねりのたうちまわるビヨンセの「声」そのものの凄まじさの前に、まったく瑣末なことだとわかるはずだ。今作のビヨンセの「声」は凄い。これは、彼女の覚醒だ。ということはつまり、現在最強の歌声が、さらにその先のステージに到達したということだ。

もちろん、ビヨンセの「声」がとんでもないことは、いまさらあらためていうまでもないことではある。その破壊力は兵庫慎司をして「小さな国なら倒してしまいそうな」ほどのエネルギーを誇るものではあった。オバマの到来を予告し実現させた、それはある意味時代の「日向」の部分をシンボリックに表すものだった。

しかし、いうまでもなく、オバマの到来とは、そうした「期待感」のピークの「その後」に進むことでもある。そして、ビヨンセに真に求められるのは、そうした「その後」との対峙だ。

果たして、その作品は、「なんでもできたはずの」ビヨンセが、あえてこのような作風を選び、その中でかつてない自身の「声」(つまりは彼女の場合、実存ということだ)の「変貌」を見せ付けるものとなった。ここでのビヨンセは、どこまでも天真爛漫な女子が世界を祝福するのではない。そうではなくて、「それだけではいられないことの苦悶とその先の肯定」に自ら身投げしようとする者だけが発することのできる複雑な表情をもった声に身を焼かれんとしている様だ。そこに、本作の感動はある。そこに打たれる。

実は、本作を最初に聴いたときに思い出したのは、昨年のモンスター・アルバム、カニエ・ウェストの『マイ・ビューティフル・ダーク・ツイステッド・ファンタジー』だった。ビヨンセの『4』は、あのカニエのアルバムへの、返答のような気がしたのだ。この世界をもう「愛せない」としか歌えなかったカニエに、それでも「愛してみせる」と歌ってみせるビヨンセ。あの、殺伐として、しかし、それでも世界を愛そうと這いずり回っていた男への、本当の意味での「抱擁」。『4』 の中でも珠玉のトラック「ベスト・シング・アイ・ネヴァー・ハド」の如何様にも読み取れる歌のヒダに入り込んでいくとき、いつもそう思えて仕方が無いのである。



「Run The World(Girls)」



「Best Things I Never Had」