現在発売中のロッキング・オン6月号では、ビヨンセの新作『カウボーイ・カーター』の徹底検証ロングレビューを掲載しています。本原稿の一部をご紹介。
アメリカ音楽の可能性を信じ抜いたビヨンセ
文=木津毅ビヨンセのカントリー。その報をはじめて聞いとき、驚いた人も多かっただろう。自分もその一人だ。だがじっくり考えると、そして実際にリリースされた『カウボーイ・カーター』を聴くほどに、本作にこめられた意味や意思が想像され、胸を打たれる。ビヨンセがなぜいま、カントリーに向かったのか。それは大いなる問いであり、同時にアメリカの未来に託した希望でもある。
そもそもカントリーは近年、アメリカの音楽シーンにおけるホットスポットである。カントリーシーン出身のテイラー・スウィフトがポップシーン全体を圧倒しただけでなく、メインストリームではカントリー歌手のモーガン・ウォーレンの爆発的なヒットが強烈なインパクトを与えた。
ラナ・デル・レイのようにポップからカントリーへと音楽的・文学的な意味で探索へと向かった者。リル・ナズ・Xのようにカントリーとヒップホップをミックスして新たなポップを発明した者。ケイシー・マスグレイヴスやザック・ブライアンといった音楽性の高さで評価される新世代も登場しているし、もっとインディ寄りの場所でもビッグ・シーフやウェンズデイ、ワクサハッチーといった才能豊かな存在がアメリカーナとオルタナティブロックを混ぜ合わせてアメリカのロックを更新しようとしている。
カントリーは現在、きわめて多様な意味でポップの実験場であり、合衆国のミュージシャンが自国の文化の歴史と繋がるためのひとつの基盤になっている。
ここで思い出しておきたいのが、ウィルコに代表されるオルタナティブカントリーのことだ。一説では1940年頃におもに産業的・政治的な意味でフォークと分化したとされるカントリーは、保守的な白人中心の価値観を称揚するジャンルと見られてきたし、実際そのような傾向があることも間違いはないのだが、そこに別の角度から光を投げかけたのがオルタナティブカントリーだった。
たとえばウィルコは四半世紀ほど前に実験的な音響によってアメリカーナを更新しながら「強いアメリカ」に対する疑義を左派的な立場から投げかけた存在だが、オルタナティブ、つまりカントリーの「別のあり方」の提示がそこにはあったのだ。そのとき、必然的に「アメリカとは何か」という問いが立ち上がることになる。カントリーは本当に保守的な価値観だけを良しとしてきたのか。そもそもアメリカの大衆はどのような音楽に心を動かしてきたのか。その探究がカントリーを通して行われてきたのだ。(以下、本誌記事へ続く)
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