見たこともない光と映像の演出に圧倒される。
始まったときはセットの構造が複雑で、一体ステージ上で何が行なわれいるのか良く分からなかった。
一曲毎に世界観の違う演出が展開され、そのどれもが素晴らしかった。僕にとってシガー・ロスはふたつある。
それはロックを拒否し、英語を拒否し、そして世界を拒否するシガー・ロスと、ロックを受け入れ英語を受け入れ、そして世界を受け入れるシガー・ロスのふたつだ。
これについて書いていると、とても長くなるのでここでは深く書かないが、今回のステージはそのふたつのシガー・ロスを統一する、僕にとって画期的なものだった。
簡単に言ってしまうと、そのふたつのシガー・ロスの真部分集合を表現するということだ。
よりそれを簡単に言ってしまうと、美しさということだ。
昔のシガー・ロスのステージでも映像は重要な役割を果たしていた。しかしその多くは文学的で物語性のあるものだった。
お客さんの半分近くが泣いているライヴに、その文学的な物語性は大きな役割を担っていた。
今回の映像演出に物語性はない。ただ僕たちは、光と映像の美しさに圧倒されるだけだ。ふたつのシガー・ロスが統一されるとき、矛盾なく共有されるのは、ある意味抽象的な美なのだ。
いつかしっかり原稿にしたい。
フジロックでシガー・ロスを観る
2016.07.23 00:42