清志郎追悼号を作って

清志郎追悼号を作って

とにかく作る事に必死で、あっという間に過ぎた1ヶ月だった。通常号を作りながらの作業を乗り越えてくれたスタッフには本当にお疲れさまと言いたい。
何百枚という膨大な数の写真を集め、チェックし、選択し、それをレイアウトし、流れを作るのは大変だった。しかしそれ以上に、その全てのカメラマンに連絡し、許可をもらい、古いものは新たにプリントをお願いする、そちらの方が大変になるだろう、と僕らは予想していた。きっと使えないものも出て来ると覚悟していた。ところがほとんどのカメラマンからすぐに承諾がもらえ、プリント作業もスムーズに進んだ。ミック・ジャガーとの貴重なツー・ショットも、ミック・サイドの許可が短期間で下りるわけがないので、当初は掲載を諦めていた。それをカメラマンの有賀氏がストーンズのオフィスと直接交渉し、すぐにオーケーをとってくれたのだ。
インタビューも普通ならあり得ないスケジュールで行われた。坂本龍一氏に取材を依頼したのはニューヨークに戻る3日前だった。スケジュールが一杯の中「とにかく明後日までに取材をしたいのでお願いします」という無茶を聞いてもらってのインタビューだった。
チャボのインタビューも刊行に間に合うスケジュールは、あの凄まじい追悼ライブの翌日しかなかった。きっと、あのデリケートな内容を話すのには、そこはとても辛いタイミングだったはずだ。断られたら深追いしない事を自分への言い訳に、その辛い仕事を頼んでしまった。読んでもらえば分かるように彼にしか語れない素晴らしい話を聞く事が出来た。
出来た本を見て、清志郎が作らせた、と思った。何、芝居がかった事を言っているんだ、と馬鹿にされてもかまわない。こうした無茶が実現したのは、多くの人が清志郎だからと思って動いたからだ。その集積が本になったのだ。僕らはそれをまとめただけだ。でも、そこでやれる事はやりきった自負はある。とてもたくさんの人に読んでもらっている。作って良かった。
渋谷陽一の「社長はつらいよ」の最新記事
公式SNSアカウントをフォローする
フォローする
音楽WEBメディア rockin’on.com
邦楽誌 ROCKIN’ON JAPAN
洋楽誌 rockin’on