米津玄師の2万字インタヴューについて書きました。(JAPAN11月号『激刊!山崎』より)


 「2万字インタヴュー」はJAPANの創刊時からある伝統的なコンテンツである。
アーティストの生い立ちから現在までの半生を語ってもらう企画で、読者からの人気も最も高い。
「2万字」というのは単に字数を表しているだけなので、時には「3万字」になることもあるが、基本的には、JAPANでじっくりと生い立ちを語るインタヴューは「2万字インタヴュー」という記事名で世間でも定着している。
ちなみに今月号の米津玄師のインタヴューは2万数千字ある。
 
生い立ちを語ってもらう、と一口に言っても、アーティストによって様々である。
ひたすら面白おかしいエピソードに終始する「爆笑2万字」もあれば、僕らと何も変わらない平凡な半生が語られる「親近感の2万字」もある。
 
 
今回の米津玄師の2万字インタヴューは、これまで僕がインタヴュアーとして数多くやってきた2万字インタヴューの中でも、とりわけ衝撃的で感動的な2万字インタヴューだった。

これまで米津は私的なことや過去のことをほとんど明かしてこなかったから、というのもある。
そして今回はじめて語られた半生における出来事の一つ一つがあまりにも特殊でショッキングだから、というのもある。

でもそれ以上に僕がインタヴュー中に心を動かされていたのは、人間・米津玄師の生きざまと、アーティスト・米津玄師月生み出す音楽・絵が、あまりにも強烈にリンクしているのが伝わってきたからだ。
忌野清志郎、小沢健二、藤原基央、TAKUYA∞といった、JAPANの歴史に残る2万字インタヴューに並ぶ、誤解を恐れずに言えば「作品として非常に優れた」2万字であることがインタヴュー中にひしひしと感じられたからだ。
 
よく、「2万字インタヴューの意味ってなんなんですか? その人の人生やその人自身が必ずしも音楽に直接関係があるというわけではないでしょう?」と言われることがある。
それは半分はそのとおりで、半分は間違っている。

たしかに、心が汚れた人間が美しい音楽を作ることはあるし、その逆もある。
平凡な人生を歩んできた人間が万人を虜にするような素晴らしい音楽を作ることもあるし、その逆もある。
悲惨な人生を送りながらハッピーな音楽を作る人もいれば、面白おかしく生きてきた人が憂鬱で悲しい音楽を作ることだってある。
でも、やはり音楽とそれを作った人自身や生きざまとの間には何らかの関係があるのは間違いない。
だって、その人生を生きてきたその人自身がその音楽を作ったのだから。
 
でも、それが2万字インタヴューの中でちゃんと表現されるかどうかはまた別の話である。
インタヴュアーのスキルや、アーティストとの信頼関係という要素も大きく関係してくる。
そして、それ以上に、アーティストが今の自分自身を引き受け、過去の自分も引き受け、その2万字インタヴューが世に出たあとの未来の自分も引き受ける覚悟を持った上でインタヴューに臨むかどうか、そこに大きくかかっている。
そんな大げさなことなの? と思うかもしれないが、アーティストがファンやその他の不特定多数の人に自分の半生を明かすというのはそれぐらい大きなことだ。
アーティストもインタヴュアーもそれをよく理解せずに「生年月日と出身地は?」「◯年生まれ、◯◯県出身です」という形でインタヴューが始まったとしても、それは「詳しいアーティスト・バイオグラフィー」や「思い出話」にはなっても「2万字インタヴュー」にはならないのだ。
「2万字インタヴュー」はひとつの作品なのだ。
 
米津玄師はそのことをよく理解し、覚悟をもって今月号の表紙巻頭2万字インタヴューを受けてくれた。
過去・現在・未来の自分に対する責任、自分の音楽に対する責任、ファンに対する責任、そのすべてを背負って、でも臆することなく堂々と自分自身の物語を語り尽くしてくれた。
それは言葉の端々に表れていると思う。
 
 
先日、テレビの情報番組「ZIP!」の取材を受けて、僕は米津くんを「10年に一度、あるいはそれ以上の才能」と答えた。
それはもちろん音楽家としての才能を評してそう言ったのだが、24歳にしてこれだけ自分自身と音楽との関係を正確に理解して、それを言葉にと物語にして届けることができる力も含めて、米津はすごいやつだなと改めて思うからなのだ。
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