【コラム】音楽はなぜ「希望」なのか

音楽はなぜ『希望』なのか。

悲しい出来事があったとき、時代が苦しい局面を迎えたとき、出口のない悩みに閉じ込められたとき、アーティストたちはよく「音楽が唯一の希望だ」という言葉を口にする。
どんなに悲しいときでも、どんなに苦しいときでも、音楽だけは僕たちの希望だ、と彼らは言う。
そしてリスナーである僕らもその言葉を信じているし、実際に、人生の中のどうしようもなく悲しく苦しいときに一曲の歌が自分を立ち上がらせて前を向かせてくれたという体験をした人は少なくないはずだ。
そんなとき、間違いなく「音楽は希望だ」と僕たちは確信する。

では、なぜ音楽は『希望』なのか。

音楽が悲しみの原因を取り除いてくれるわけでもないし、問題を解決してくれるわけでもない。
音楽に苦しい時代を変革する力があるわけでもないし、社会問題を解決する答えがあるわけでもない。
病気を治せるわけでもないし、被災地を復興できるわけでもない。
いくらラブソングを聴いても失った恋愛は戻らないし、どれだけ人生応援歌に応援されてもダメなときはダメである。
音楽それ自体には答えも力もない。
それでも「音楽は希望だ」とアーティストは言い、僕達もそれを確信する。

それは、音楽が「人間の中に常に希望がある」ことを教えてくれるからである。
音楽それ自体の中に答えも力もなくても、それを聴いている自分自身の中に答えや力があるのだということを音楽は教えてくれるからである。

もし、ある音楽を聴いて光が見えたとしたら、それは音楽が光っているのではなくて(音楽は音であって光ではない)あなたの中にある光が呼び覚まされたのである。
もし、ある楽曲を聴いて美しい光景が見えたとしたら、それはあなたの中にあった美しい光景が呼び覚まされたのである。
もし、ある歌を聴いて感情や力を感じたなら、それは全てあなたの中にある感情や力が呼び覚まされたのである。
音楽はそういうものなのだ。
どんな境遇にあろうと、どんなに苦しくて悲しくても、自分の中には光も美しさも力も感情もあるということを音楽は教えてくれる。

つまり、音楽は「自分には希望がある」ということを常に教えてくれる。音楽さえあれば、僕らは自分自身の中にある希望を見失うことはない。光を見失うことはない。
だから、「音楽は希望だ」と、僕達は確信するのだ。


フェスや野外でのライブ(つまり、昼間でお客さんの顔がよく見える会場)で、ステージを観ながら泣いている人を見ると自分も泣けてくることがある。
その人はきっと、自分の中にずっとしまっていた美しい感情や光景が音楽によって呼び覚まされて、涙を流しているのだと思う。
ステージの照明やそこに立つアーティストの表情やシルエットは美しいけど、でも実はその人は自分の中にある光や美しい光景に瞼の奥で出会っているのだと思う。
音楽によって、本当の自分と会っているのだと思う。
その喜びに涙が流れてくるのだと思う。
その姿は美しい。
ライブに行くということは、そういうことなのだと思う。


音楽自体はただの音=空気の振動である。その空気の振動は、聴いた人の心の中の光や感情や力を呼び覚ます。
その光や感情や力で、人は前に進むことができる。
いつだって、それこそが希望だ。
(山崎洋一郎)

(ロッキング・オン・ジャパン最新号 コラム『激刊!山崎』より)
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