HIPHOP、R&B、POP──今の洋楽シーンの「面白さ」について書きました

今の音楽シーンの主流は言うまでもなく「ヒップホップ」と「R&B」、そして「それらの要素が入ったポップス」、である。
それらに共通しているのはトラックである。
つまり、トラックに乗せてラップするか、歌うか、両方やっちゃうか、の違いにすぎない。
ビートメイカー寄りかソングライター寄りか、という差はあるにせよ、今の音楽シーンのほぼすべての土台はトラックメイカー/サウンドプロデューサーが作っている。
同じトラックを元にしてヒップホップにもなるしR&Bにもなるし、ポップスにもなる──今のヒット曲のほとんどがそういう成り立ちだ。

これが「ロックの時代」との根本的な違い。
ロックは歌と演奏が不可分であり、完全なる有機体なのだ。
ジャンルの違いではなく、構造の違いなのです。


さて、そんなヒップホップ/R&B大盛況のシーンも常に変化し続けていて面白い。
ジョン・レジェンドからマクスウェル、サム・スミスぐらいまでは、「孤独と愛」をあえて再びオーセンティックに歌う新世代として登場したが、次は「個の闇と壊れたコミュニケーション」をオルタナティヴなトラックに乗せて歌う世代が今のシーンを席巻している。
そして、その世代を特徴づけているのが「オートチューン」だ。

今の世代のヒップホップ/R&Bはオートチューンだらけだ。
言うまでもなくオートチューンがひんぱんに使われるようになった時期はだいぶん前で、その当時は「オートチューンで歌う」ということが一つの主張になっていた。
だが、今のオートチューンの使われ方は「主張」というよりは、「区別」というか「サイン」のようなものだ。
他のどの時代の音楽でもなく、オートチューンで歌う俺たち/私たちの時代の音楽なんですよ、というサインのようなものだ。
髪型やズボンの裾の長さのように、他の世代に対して無言の区別を示し、同じ価値観を共有する同じ世代との了解事項として彼らは無意識に当たり前にオーチューンで歌うのだ。

今年になって立て続けにリリースされたSZAのアルバムもカリードのアルバムもミーゴスのアルバムもカミラ・カベロのアルバムのそういう意味で純度の高い「今」のアルバムだ。
フランク・オーシャンやチャンス・ザ・ラッパーやジェイムス・ブレイクが「今」という時代を明確な世界観として音と言葉で描き上げ、その風景の先へと世代としての勢いとともにどんどん進化していく今のポップ・シーンは本当に面白い。
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