そしてその姿勢はアルバムのすべての楽曲のすべての音、歌詞、歌声の隅々にまで貫かれている。みんなのニーズに応えるポップスではなく、攻めのポップス。でも聴いた瞬間に没入できて自分のものになる。Mrs. GREEN APPLEがこれまでのアルバムやシングル曲で常にやってきたことを一つの大きな世界観としてストレートに提示して、それを今の音楽シーンと対峙させてみせるという壮大な挑戦のアルバムだと思う。
では、今やこんなにもみんなに愛されているMrs. GREEN APPLEにとって、「攻めの姿勢」とはいったい何を意味するのだろうか。最も売れているMrs. GREEN APPLEは、ここからさらにどこに攻めようとしているのだろうか。去年、Mrs. GREEN APPLEがROCK IN JAPANに出演したときに大森元貴はMCでこう言っていた。
「今1番売れてるバンド、Mrs. GREEN APPLEです。売れてるのが1番かっこいいわけじゃないってことを10年前にロッキンの1番小さいステージに初めて出させていただいて、そこで学びました。だから今日は10年前の自分たちに笑われないようなライブをする覚悟で来ました。どれだけ信念を持って音楽をできるか。そしてやっぱり売れてるものもかっこいいんだって証明しに来ました!」信念を持って音楽をやっていて、でも売れていなかった10年前の自分達も肯定し、そして1番売れている今の自分たちも肯定するためにこのステージに立っている、という素晴らしいMCだと僕は聞いていて思った。同時に、Mrs. GREEN APPLEが観れて嬉しいと思っているお客さんにも、どうせ売れてるだけの流行りのバンドでしょと思っているお客さんにも向き合おうとする、誠実を極めた言葉でもあると僕は思った。そして、最近ではスマホやPCを開いてもテレビを点けてもあらゆるところでMrs. GREEN APPLEを目に耳にするが、そこで斜に構えていると感じたり、エゴを感じたりすることが一切ない。それは彼らがエンターテイナーとしてがむしゃらな上昇志向を持っているからなのではなくて、見ている人の存在を認めて向き合おうとしているからだ。
アーティスト写真においても、Mrs. GREEN APPLEの世代では顔を見せなかったり少し隠したりする傾向が強かったりするけど、彼らは常に顔をカメラに向け、その向こうにいる見ている人に向けて表情をしっかりと届けている。そして言うまでもなくライブやテレビの歌番組でのパフォーマンスにおいては、観ている僕らの耳の鼓膜と目の網膜までしっかりと解像度高く自分たちの音楽と歌詞を届けようとする気迫のようなものが伝わってくる。
つまり、どこまですべての人とどこまでまっすぐに向き合えるか、それがMrs. GREEN APPLEの最初からの、そしておそらく永遠のテーマであり、その姿勢が彼らにとってのポップスなのだ。だから、売れたということは通過点に過ぎない。その先へと攻める必要があった。あらゆる人達と向き合い、そしてできる限りその存在を肯定して、その結果として少しでも世界をアップリフトすることができたら⋯⋯そんな願い、信念がこのアルバムの根底に流れているのを、アルバム全体からも、それぞれの曲からも、音や歌詞のディテールからも、痛いほどに僕は感じる。彼らの10年前の1stフルアルバム『TWELVE』の1曲目に“愛情と矛先”という曲がある。僕はアルバム『POPS』を聴き終えたときになぜかこの曲が頭に浮かんだ。愛情という言葉と矛先という言葉のカップリングは面白いと思ったけど、でも当時はそれが少し無理やりな「ロックな飛躍」に感じた。でも10年経って、このアルバムでは彼らは本当に矛先をみんなに向けて愛情を放つ、という見事な攻めの姿勢を作品として、音楽として仕上げてみせた。そしてそれを『POPS』と名付けた。本質的な意味で、日本の新しいポップスを定義するアルバムだと思う。ROCKIN'ON JAPAN総編集長 山崎洋一郎