パール・ジャムがなんと6年半ぶり、11枚目となる『ギガトン』の完成を意表を突いて発表した。トランプ政権誕生以来初となる今作は、ジャケットで地球温暖化を訴え、タイトルも氷河が解ける単位から取ったものであることから、以前同様今のリアルに真摯に対峙したものだと分かり、まず興奮した。しかも、アプリやゲームを使った新手法を導入し、『テン』から29年を迎える彼らが、今作で強烈なメッセージを掲げながら、これまでとは違う様々な形で強烈なコミュニケーションを求めているというのが分かる堂々の帰還となった。
そしてアルバムの内容もその通りだった。まず発表されたシングル“ダンス・オブ・ザ・クレアヴォイアンツ”を聴いて驚愕した。エディ・ヴェダーに以前取材した際に、「僕らは、自分が敬愛するザ・フーのように様々なサウンドでアルバムを作ってきていない。2色くらいしか使えてない」と言っていたのが忘れられないが、この曲は、彼らがそのキャリアでも最大と言える実験をしたことを告げる内容になっている。トーキング・ヘッズ的なポスト・パンク、ニュー・ウェーブ、エレクトロニックな曲でキーボードが鳴り響いた日にはおったまげたし、個人的には以前観たハロウィンのコンサートで彼らがディーヴォの仮装をしたのを思い出してしまった。この曲はメンバー全員で書かれたが、慣れで書いたと思える箇所はなく、これまでとは違うアプローチをしたのが分かる。つまり、7年かけて今作で何を目指したのかが象徴されているのだ。キーボードを弾くのはジェフ・アメン、ベースはストーン・ゴッサード。それぞれが違う角度から30年続くパール・ジャムの未来へ向かったような曲だ。そもそもダンス・ビートを使った曲なんてあっただろうか? 興味深いのがそんな始まりから即座にエディ・ヴェダーが深い怒りに満ちたボーカルで今の時代の不確かさを叫ぶこと。ダンス・ビートと融合すると異様な不気味さを生み出す。バンドとして新しく実験的で複雑な試みの中でいかに今の複雑な社会を反映させながらも、あくまでメインストリームのロック・バンドとして成長できるのかという、キャリアでも最も野心的で難解なことに挑戦しているのだ。それが見事成功している。例えば、怒りをストレートに、しかし違うアプローチで表現しようとした『パール・ジャム』前後の作品と比較すると明らかだと思う。ブッシュ政権の時は、“ブッシュリーガー”を発表し批判した彼らなので、今作の各所にトランプ批判があるのは予想内だ。例えば、“クイック・エスケープ”では、《トランプがまだ台なしにしてない場所を見つけるのに》《モロッコの国境を越え、マラケシュからカシミールへ》《果てしなく行かなくてはいけない》と訴える。しかしそこで切迫感とエモーショナルが混じり合い、最終的には逃避の世界に向かう曲になっているのが興味深い。また、“セヴン・オクロック”では、《ネイティブ・アメリカンのシッティング・ブルとクレイジー・ホースは、北と西を必死に統合したのに/今の大統領は、シッティング・ブルシット(クソ)だ》と鋭く批判。また、《海面が上がっている》と地球温暖化の危機も訴えている。この曲は、ピンク・フロイドを彷彿とさせるサイケデリアにブルース・スプリングスティーン的なシンガロングが混じり合い、しかもエディがファルセットも披露。構築への思考と拘りが感じられる。前半の熱を解きほぐすように後半はよりシンプルで、“ネヴァー・デスティネーション”はストレートなポスト・パンク・サウンドの曲でマイク・マクレディのギター・ソロが聴き応えある。マット・キャメロンによる疾走感と激しさが入り乱れる“テイク・ザ・ロング・ウェイ”は、亡きクリス・コーネルへのオマージュなのだろうか。ストーンの“バックル・アップ”は、より繊細な米インディ・ロック的曲。終盤になるに従い怒りや問題提起、逃避から、希望、祈りを捧げるようなトーンにサウンドが変わる。ピート・タウンゼントを彷彿とさせるアコギの“カム・ゼン・ゴーズ”や、とりわけ、ニール・ヤングを彷彿とさせるエディのパンプ・オルガンによる最後の曲“リヴァー・クロス”が感動的だ。《この夢が永遠に続いて欲しい/この瞬間が永遠に終わらなければ良いのに》とこれも耳新しいゴスペルのような曲で締めくくられる。『ギガトン』という重いタイトルを背負って作られた今作は、ロックやバンドの歴史を綴る王道サウンドを繋ぎながらもバンドが未来へ向かう史上最高の実験的アルバムでもある。哀しみ、怒り、不安、フラストレーションに対峙し、かつそこから希望や美が見出せる作品に仕上がっている。バンド30年にしてそのアイデンティティを更新した成長のロックンロール作だ。 (中村明美)
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