帰り道に幻視する過去と未来

マカロニえんぴつ『八月の陽炎』
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マカロニえんぴつ 八月の陽炎
マカロニえんぴつの楽曲には「失われたもの(時に青春と呼ばれる)」に対する強烈なオブセッションが刻まれることがあるが、しかし、それは絶望ではなく命の躍動として響く。彼らが、過去も未来もすべては「今」という瞬間に宿ることを知り、また、生きることは時に、帰路を歩くようなことだとも知るからだろう。新曲“八月の陽炎”ではこう歌われる。《地平線の向こう 八月の陽炎/きっとずっと十代の自分が居る/見たくない真っ黒のそれに生き先を尋ねてた》。「お先真っ暗」なんて言葉があるが、街灯も標識もない生の路上でも、記憶の中のかつての無力な自分に手を取られ、もう聞こえないはずの愛する人の声に導かれることで歩ける時が、確かにあるのだ。

お茶の間で流れる日焼け止めのCMソングだが、相変わらずはっとりは自分自身の「愚かしさ」によって世界や時代とコミュニケートしようとする。騒々しくもクリアな音を奏で、「どうやって生きればいい?」という解けない問いを繰り返しながら、生傷をつけ合ってこの世界にあなたと分かち合った居場所から、いつか帰る場所を見つめている。(天野史彬)

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