愛という名の亡霊に取り憑かれて

ガールズ『ファーザー、サン、ホーリー・ゴースト』
2011年09月07日発売
ALBUM
ガールズ ファーザー、サン、ホーリー・ゴースト
まず本質的な問題として、どんな社会のどんな生活環境であろうと、その場所が真に愛情に満ち足りているならばそれだけで人は滞り無く生きて行けるし、音楽だのロックだのというものは二の次、さもなくば不要である。ある人がカルト教団の、外部社会とは隔絶したコミュニティで育とうとも、それは例外ではない。逆に言えば、音楽だのロックだのが求められてしまうような生活環境というのは、根本的に愛が歪み、欠落しているのであって、それは信仰の有無に関わらず誰もが同じ条件下にある。つまり、音楽だのロックだのを愛好する者にとって、クリストファー・オウエンスの生い立ちというのは決して特例でも他人事でもない。彼の歌う歌には予めそれだけのポピュラリティが備わっているのだ。
 
クリストファーはこの新作について「僕は何も変わっていない。自分が何をすべきか僕はまだ分かっている」と語ったそうだが、前作と今作での彼は決定的に変わっている点が一つだけある。「歌うことを許されようとしている者」と「歌うことを許された者」の違いであり、本作は後者だ。ディープ・パープルとニール・ヤングの分裂症のようなロックで広い世界に絶望を放ち(“ダイ”)、かつて無かった轟音の深海で愛に彷徨っている(“ヴォミット”)。本作を聴き始めた直後に、これを聴きながらどこまでも歩いて行きたい、と感じた僕は、《これはただの歌だよ。ついておいで》と歌うクリストファーの声に戦慄した。彼はハーメルンの笛吹き男と化すのか。そうするしかないのだろう。音楽に罪はない。宗教そのものには罪がないのと同じことだ。哀しすぎる。(小池宏和)
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